人の話を聞かないとよく言われる。言いたい、聞けない。偉い人はたいてい逆で、耳は2つ口は1つだから。うん、気をつけたい。人に何かを言われて、わからない時がある。教えられても理解できない時がある。そういう時は後で考えて予想し、想定でやって、あとで調整(怒られたり)する。弱点、欠点は誰にでもあるけれど、しかし時にこれは長所、特技に変わることもあるようだ。二つ良いことさてなきものよの逆で、二つ悪いことも実はあまり無いのかもしれない。曽野綾子氏が似たことをおっしゃていたと思う。人はどんなことからも学ぶ。良いこと、悪いことどっちからも。さて、ことを為す人は人から教わるタイプではなく、自分で苦労して覚えるタイプの方だと言う。ことは為さなくてもいいからスマートなほうがいいと思っていた。生まれつき持ってくる苦の深く大きい人が事を為すとも言う。そんな大それたことは考えていませんが・・・普通にあこがれていた時もある。皆人それぞれ、完璧な人はいない。年が若ければなおさらである。お互い慣れあったり、もたれ合ったりしてはいけないが、互いに自己主張しつつも(常に言わなくてもいい)ちょっとずつまともになれるよう、お互いの良い点、悪い点を少しは客観的にとらえつつ、相手が気づくまでタンタンと目の前のことをやるしかなそうである。攻撃的にならないよう注意。凡人だからたまに嫌味の一つ位言いたいけれど。しかしながら、お互いの個は必ず進化していくと思う。自己中のわがままも個人の意見に発展する根になりえるのではないか。周りを見回してみる事である。自分だけが特別ではなく、自分がいることで困っている人がいるのではないか。人に迷惑をかけないように。相当気をつけていてもかけてしまうことがある。生きていてごめんなさい的な、でもこれだけは譲れないのですみたいなものは、きっと個の意見の種や根になりうると思う。育てるための水、栄養剤は、その環境や理解者の協力、援助といったところ。変化が起きる時。良くも悪くもだけれど、その始まりは一人の想いからだと思う。つらい、厳しい前途が待っていたら困るけれど、想いの強さで乗り切りたいが、でもめげそうな時、そんな時はこう思いたい。無理は禁物。抜けてて結構。小泉今日子さんは抜けてるイメージがあったけど(渚のハイカラ人形からかな)、いまこそ熟成された大人の存在のちょっとダメな部分を見せて欲しいな。安心するし。もとい。できれば明るく、あまり怒らず、ちょっとずつマシな自分(一日1mm。大自然~)、相手との関係、家族生活になるよう。祈りつつ、反省、挑戦、調整、(see do plan )の繰り返しをしたいものだと思う。年長者は諦めてはいけない。うるさすぎてもいけない。ちょっと嫌がられつつ、憎めないけどまあ、一理あるくらいな存在を目指したい。三匹のおっさんのように。そうでない年長者は世の役にたてない人だと思う。年はくっても自己中心的な人であろう。積小為大は大事な柱。数年後、数十年後、それぞれのタイプは時間がたてばその差が歴然と表れるのに違いない。きっと住んでいるところに。周りの笑顔の数に。