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子育ての道

1歳位の子供には大事な影響をその後与えうる大切な時期で、感情、言語面で働きかける環境があるほうが良いらしい。たとえば一時間以上の人形劇をお母さんと一緒に生で見る機会に子供が飽きず見入ることもあるらしい。その後の感性面の豊かさにつながるとか。子供にもよるのだろうけれど、語り掛け、笑いかけ、褒めることはきっと大切なことであろう。「三つ子の魂百まで」と言う。子供が三歳まではどんなに溺愛してもいいと思っていた。もちろん、しつけも必要だが。

しかし、ちょっと待てよと思う。私は幸い二人の子供に恵まれた。現在20、19歳に成長した彼らは親をどう思っているかよくわからないけれど、一定の反省や改善は心掛け、日々try and error である。

私の孫へのその両親の対応は、私たちの子供にたいするそれとは違っている。時代や環境、年齢が違うのだから当たり前ではあるのだろうが、それでもちょっと待てよと思うことがある。以前仕事で、中学生を1000人以上見させてもらった。学習塾で高校受験のお手伝いをさせてもらったことがある。問題児らしき子もいた。家庭環境も様々だった。土地柄から新旧住民が一緒に住み、所得の格差も大きい地域である。

その時思ったのは、両親が仲良く、きちんと社会生活を送る努力をしている家庭の子供はきちんとしているということである。教育費を工面して塾に通わせる家庭に関してではあるけれど。子供達は親を、大人をしっかり見ている。そうごまかすことはできないようである。成績の良し悪しを言っているのではなく、その子の立ち振る舞いや親御さんの言動。当時はまだ、うちの子供は保育園。先のことはわからなかった。ただ、これらを参考にはしてきたと思う。及第点ではなかったかもしれない。割れ鍋に綴蓋夫婦を自覚している次第。矢沢永吉の「お受験」はコレクションDVDである。

あえてこの題名をあげているのは、そのちょっと待てよのせいである。おしんという朝ドラを久しぶりに見た。子育てのヒントに触れた気がしている。明治、大正、昭和と生き抜いたおしんの様々な人間関係を観ることができる。生き抜き、勝ち抜いたと言える。いづれヤオハンという海外展開をした大手スーパーのモデルの一人へと繋がる。残念ながら店舗は1997年になくなっている。たまたまその創業一族の女性とカラオケをしたことがある。私にpeace of my wishを歌ってくれた。さすが一流の事業家の娘さんと感じた。貴重な体験。

話を戻す。加藤諦三氏の人生相談によく出てくる。子供の頃のトラウマは成人後の人生に大きな影響を与えかねない。無償の愛を親からもらえるかどうかはその子の一生を左右するようである。貧しい時代の赤ちゃんは必死に生きる母親の背中で、そう遊んでもらえず育つ。貧困の中で苦労した子供は生き抜く覚悟を持ち、大きな夢を実現する可能性がある。安室奈美恵さんもそうだったらしい。北向きの竹やぶからだけ尺八の名器が生まれるらしい。陽に恵まれないから。一流には厳しい環境が必要だという。私は違い、けっこう恵まれていた。

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子供に将来良い影響を与えうる子育て方法はあり、年々新たな発見やスキルが見つかるかもしれない。しかし、きっと本当に大切なことは時代がいつであろうと変わらない。国や環境にもよらないのではないか。それより子供たちの自立を妨害したり、大人のエゴを押し付けたり、子離れせず人生を楽しめない、自立できない親に問題があるのではないか。世の中は変わる。未来は子供たちのものである。老人もまだしばらく生きるだろうが、自分の足で立ち、個を持たないか限り、周りに迷惑をかけることにならないか。理想と現実は違い、棒ほど願って針ほど叶う。子育ては多分多種多様、答えはいつもその時々で違い、間違ったり、驚いたり、喜んだりしながら独り立ちする子供をひたすら応援するしかないのかもしれない。干渉しすぎず、離れず、近づきすぎず。ただ奮闘しながら願う。どこへ行っても通用する人材は単純明快。当たり前のことをキチンとできる人。やろうと努力している人。面倒なら工夫して、できるだけ楽しみつつ。今だめでも諦めず、ごまかさず、忘れないこと。いつかできる、きっとできるのである。以下ポイント。

1、疲れすぎていないか。無理は禁物。無理は子供に悪影響が及ぶこと多い。

2、一作業一片付け。掃除、洗濯。あたりまえに一日一回必ずチェック。清潔に。できるだけでOK。

3、子供が3歳まで親は外へ遊びに行くことはやめる。(県外や夜間など。近場の少しの時間はよいだろう。頻繁でなければ。)子育てこそが楽しい遊び。それ以外は禁止。大倉修吾さんがラジオでよく言っていた。5歳か7歳までだったかもしれない。子供をいつも忘れないように。親の責任。

4、夫婦できるだけ仲良く。これ基本中の基本。会話、子供の面倒の共有。助け合い。

5、親はできるだけきちんと社会生活を送れているか。難しいならすぐに専門家に相談。現代は難題山積み。抱え込むのはダメ。

6、笑顔、やさしさ、無償の愛が大切。逆にダメなのは外面良しの世間体重視、怒っている、帳尻合わせ、子供じみたわがまま、自分で考えないで誰かの言いなり、超自己中で反省しない。といったところ。

次に新武士道塾的理想のポイント。厳しめバージョン。

1、親はあたりまえのことをやれているか。反省、努力をしているか。トイレの後の尻ふきやそれに似た後始末。できていないと恥。自分がやらなければ誰かがやってくれている。改善は必須。

2、金銭面で自立しているか。親に頼って当たり前になっていないか。若いうちの苦労は買ってでもしろと言う。手や金を出し過ぎる親は子供の将来を考えていない。馬鹿親であろう。

3、子供に手伝いをさせているか。毎日のルーチンを必ずやる方向で強制しているか。レベルは子供に(親に)合わせて、無理は禁物。意外に子供の方がしっかりしていたりする。

4、子供にチャレンジさせているか。子供の話をきちんと聞けているか。困った時は身を挺して守っているか。守ろうとしたか。わが身より我が子を優先したか。

5、子供に不要な苦難を強いてはいないか。親は自立した大人として考え、判断し、実行、反省していなければ、そのうちそのしわ寄せは必ず子供に行く。その責任が親にはある。できていなくても忘れないこと。歯を食いしばる時期は誰にでもある。可愛いわが子のためにも人に頼り過ぎないこと。世の中は変わる。明日は今日とはまた違ってくる。しかし、いつであっても自分達のことは自分達でやりきる覚悟は要る。必ず要る。残念ながら今の日本人は忘れている人も多い。それに倣う必要はない。何人いようが泥棒は泥棒。まともではない。100年前はどうっだたか知らないけれどAIの今、多分その時代に戻ることはないだろう。機械はそこまで馬鹿ではない。

6、質素倹約、単純明快、楽しく厳しく。日々是新である。過ぎたるは及ばざるがごとし。なければ工夫もできる。現代は昔より生きにくい豊かさがある。物にあふれすぎてしまっていないか。断捨離、整頓でスッキリ気分をもちたい。(自分のことは棚に上げがち。努力はしている。)

以上休止中のワンポイント道ブログ。今伝え、確認したい内容でした。参考にしたのはGTO、ドラゴン桜、金八先生~TBSドラマシリーズ、自己創造の原則~加藤諦三氏著作や言動、灰谷健次郎氏著作、吉川英治氏著作、矢野轍氏著作、ジパング少年いわしげたかし、ガッデム、など。

※付け足し有り

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付け足し  なかなか現状が良くならない。「ウーン。理屈では解決できないか。」とこぼしてもしかたなく。気づく。自分が変われば周りも変わる。ということは、子育ては(孫育てか)自分育てであろう。今より少しでも良くなるよう自分を動かし、奮闘し、あたりまえを行い続ける。感情的になったり、無駄に怒って騒いでも逆に悪くなる。きっとマトモなことは誰でもわかっている。家族や親類縁者様方。そこに行けるよう普通に動くことが大事なのだろう。言って、やって、あとは切り替える。その繰り返しと諦めないブレない気持ちが大事。「フーちゃんはフーちゃんの好き」。人それぞれ想いがあって、ゆずれない時がある。正しい、間違いではないのだ。しかたないのだ。それでも地球は回っていて時間は過ぎていく。今は過去になる。明日がちょっとでもマトモになるように自分を育てる。実は子育て以外仕事でもそういう気分なのである。ブレるな。こだわるな。諦めるな。無駄に争うな。急がば回れ。短気は損気。Let it be. いつか答はでる。一皮むけた気分。けっこう厳しいがムリせず楽しんで逃げず進みたい。簡単ではない。しかし自分が誰よりちゃんとわかってると思える時がある。胸の中の約束の場所を。(未完 Mr.chilidrenより)気づいたから偉いというわけではなく、ただちょっとたくさんこだわって、迷って、なんとなく見えてきているのだろう。それを信じるだけである。

P.S 「今20代~50代の親たちが、子供に教えられないこと。教わっていないから。PHP 12月 棚原安子より」大事なことは自分のことは自分でする、年齢に応じて家の中での自分の役割をもつ、約束を守る。どれも社会に出た時にあたりまえに求められること。洗濯、食器の準備、片付け、親の手伝いなど。自立させるのが子育ての目標であり親の役目。いい学校を出て、いい会社に就職して、社会のレールに乗れることよりも自立教育が大事。

昨今問題になって、NHKでもとりあげられている「ひきこもり」。この辺に解決のヒントがあるのかもしれません。まず、自分の声を発っする。そしてそれを知る。(私は確認しつつ書きまくりました。)そして、ちょこっとずつ乗り越える、少しずつ、焦らず。大事なのは自分の足でそこで立ち、歩くこと。そして楽しむこと。人生は楽しむためにあって、それには我慢、努力も必要なのであろう。答えはたくさんあって、でも自分で見つけるしかなくて。確かに社会も、国も、大人も完全ではない。矛盾もある。それもまた、あたりまえ。マシにできるかどうかちょっとでもやってみないか。ってか。

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超 番外であり基本

個について
私たちがいつか創りたいもの。塾であり、共同体であり、営利集団であったりするけれど、基本はここにあります。司馬遼太郎氏の言葉であり、坂の上の雲に出てくるセリフであり、このブログの最重要の趣旨です。「日本人は個がまだできていない。武士道の精神を基本にして、今からかつての公共心、仁、義、礼を重んじて、一人一人が独立していかなければならない。」「一身独立して一国独立する。自分を甘やかさず質素を宗とする。若いうちに体に叩き込むほうが良い。」ある政治家が言っていたそうです。「その時の政治をなす政治家は、その時の国民のレベルを現わしている。内閣がよくないとすれば国民がそのレベルでしかないということ。」

知らず知らず自分をだまして生きてきていないか。面倒くさがって邪に過ごしていないか。戦っている人を笑う側にいないか。

もっと野望を持っていい。周りを気にしなくていい。そして、遠慮して本来、言ったり、やらなければならないことから逃げてはいけない。小さくても(大きければなお良いけれど)本当の自分を大切にして日々修行(そんな堅苦しくなくてもいいのだが)していかないとならないわけで。しかしそれは口で言うほど簡単ではありません。時間がかかり、時に血や涙や挫折や失望もありうる。外国の大人民主主義は歴史上幾多の先輩たちの努力や犠牲や革命や反省の上にやっと成り立っているわけで、日本人が明治からその方向に歩き出したとすれば、それは一部の士族や事業家、政治家などの努力であって、民衆が独立して為してきてはいない。まして、戦後はなおさらで、立ち直るのがやっとだった。

「地方自治は民主主義の学校である。」ジェームズ、ブライスの言葉ですが、私の卒論の出だしでした。市民参加の行政の在り方を町田市南成瀬地区でアンケートをとったりしました。一人一人が自分の足で立ち、立身する。つまり自分の食い扶持は自分で稼ぐのが基本。親や親せきに頼っているようでは、まだまだ一人前ではない。(まあ、そういう時期もあって仕方ないけれど、自分の立場と責任は果たすべき。そうでなければただの甘え。しょせんちゃんとした親や市民にはなれない。)基本は自分のことは自分でする。人に頼らず、迷惑をかけない。後始末、片付けも自分でする。誰かにやってもらって当然では情けない。世界中であたりまえなことでしょう。まず、そこです。積小為大でよい。時間をかけてもよい。体に叩き込み、浸み込むまで繰り返す。考え、情報を集める、楽しみながら、自分なりに。行動、反省、修正。その次に、周囲の社会に参加していく。議論し、作り、努力し、積み重ねていく。なれ合いや、利用は不要です。単純明快で協力していく。そうしてやっと、良い国になるのではないか。

私どもの最終目標は老人村としています。(いづれ私も近い将来そこへ行きます。)どこまで形にできるかわからないけれども、かつての自然村を発展、現代化して、年寄りたちが自ら主になって生活する村落がいくつもできていくような、そんな未来の高齢化社会があってもいいと考えているわけです。(世界の先進国の一モデルになるかもしれない。)事業としての老人福祉ではなく、老人がより人間らしく、独立して社会に参加、貢献できる共同体です。できれば利益も出したい。

一人一人が独立した個を作る。そこなくして良い社会や、国、世界はありえません。自分なりでいい。間違ってもいい。あきらめず楽しんで、泣いたり笑ったりして、立ち直り歩き出せるよう切に祈る次第です。

(しかし、実際には・・)家の中でも、職場の同僚の間にもいろいろ、様々で個は難しい。理屈ではない。まだ、高度経済成長時の父権の強い家、社会が楽でシンプルで、救いがあるような。今は50代前後の心ある人にとって受難の世の中なのかもしれない。(特に男)忍耐と笑顔と深い愛情が要る。なかなか凡人には難しいのだけれど・・・。小さい個と大きな個。争いあってもしかたない。時間がたてば答えは出る。謙虚で素直で絶対的な積極心があれば和合も見えてくるかもしれない。徳がないからと憂いたり、小さいからと諦めるのはよそう。日々新しく。辛抱はいつか活きるだろう。様々、いろいろ、好きでよい。一緒になることはない。とりあえず今は今。未来はまた違ってくるだろう。より良い未来につながる礎となってほしいのである。