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超 番外であり基本

個について
私たちがいつか創りたいもの。塾であり、共同体であり、営利集団であったりするけれど、基本はここにあります。司馬遼太郎氏の言葉であり、坂の上の雲に出てくるセリフであり、このブログの最重要の趣旨です。「日本人は個がまだできていない。武士道の精神を基本にして、今からかつての公共心、仁、義、礼を重んじて、一人一人が独立していかなければならない。」「一身独立して一国独立する。自分を甘やかさず質素を宗とする。若いうちに体に叩き込むほうが良い。」ある政治家が言っていたそうです。「その時の政治をなす政治家は、その時の国民のレベルを現わしている。内閣がよくないとすれば国民がそのレベルでしかないということ。」

知らず知らず自分をだまして生きてきていないか。面倒くさがって邪に過ごしていないか。戦っている人を笑う側にいないか。

もっと野望を持っていい。周りを気にしなくていい。そして、遠慮して本来、言ったり、やらなければならないことから逃げてはいけない。小さくても(大きければなお良いけれど)本当の自分を大切にして日々修行(そんな堅苦しくなくてもいいのだが)していかないとならないわけで。しかしそれは口で言うほど簡単ではありません。時間がかかり、時に血や涙や挫折や失望もありうる。外国の大人民主主義は歴史上幾多の先輩たちの努力や犠牲や革命や反省の上にやっと成り立っているわけで、日本人が明治からその方向に歩き出したとすれば、それは一部の士族や事業家、政治家などの努力であって、民衆が独立して為してきてはいない。まして、戦後はなおさらで、立ち直るのがやっとだった。

「地方自治は民主主義の学校である。」ジェームズ、ブライスの言葉ですが、私の卒論の出だしでした。市民参加の行政の在り方を町田市南成瀬地区でアンケートをとったりしました。一人一人が自分の足で立ち、立身する。つまり自分の食い扶持は自分で稼ぐのが基本。親や親せきに頼っているようでは、まだまだ一人前ではない。(まあ、そういう時期もあって仕方ないけれど、自分の立場と責任は果たすべき。そうでなければただの甘え。しょせんちゃんとした親や市民にはなれない。)基本は自分のことは自分でする。人に頼らず、迷惑をかけない。後始末、片付けも自分でする。誰かにやってもらって当然では情けない。世界中であたりまえなことでしょう。まず、そこです。積小為大でよい。時間をかけてもよい。体に叩き込み、浸み込むまで繰り返す。考え、情報を集める、楽しみながら、自分なりに。行動、反省、修正。その次に、周囲の社会に参加していく。議論し、作り、努力し、積み重ねていく。なれ合いや、利用は不要です。単純明快で協力していく。そうしてやっと、良い国になるのではないか。

私どもの最終目標は老人村としています。(いづれ私も近い将来そこへ行きます。)どこまで形にできるかわからないけれども、かつての自然村を発展、現代化して、年寄りたちが自ら主になって生活する村落がいくつもできていくような、そんな未来の高齢化社会があってもいいと考えているわけです。(世界の先進国の一モデルになるかもしれない。)事業としての老人福祉ではなく、老人がより人間らしく、独立して社会に参加、貢献できる共同体です。できれば利益も出したい。

一人一人が独立した個を作る。そこなくして良い社会や、国、世界はありえません。自分なりでいい。間違ってもいい。あきらめず楽しんで、泣いたり笑ったりして、立ち直り歩き出せるよう切に祈る次第です。

(しかし、実際には・・)家の中でも、職場の同僚の間にもいろいろ、様々で個は難しい。理屈ではない。まだ、高度経済成長時の父権の強い家、社会が楽でシンプルで、救いがあるような。今は50代前後の心ある人にとって受難の世の中なのかもしれない。(特に男)忍耐と笑顔と深い愛情が要る。なかなか凡人には難しいのだけれど・・・。小さい個と大きな個。争いあってもしかたない。時間がたてば答えは出る。謙虚で素直で絶対的な積極心があれば和合も見えてくるかもしれない。徳がないからと憂いたり、小さいからと諦めるのはよそう。日々新しく。辛抱はいつか活きるだろう。様々、いろいろ、好きでよい。一緒になることはない。とりあえず今は今。未来はまた違ってくるだろう。より良い未来につながる礎となってほしいのである。

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