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自足立歩

道から離れています。ひょっとすると私たちは、まだその域に達していないのかもしれません。
でも、このタイトルはこのブログの基本スタンスです。具体的に、現実にそって、経験を踏まえて伝えます。

私(副塾長)が、どうやら自分の足で立ったようだと感じられたのは40代半ばと遅かったです。それは人により、場所により、様々であろうと思えます。また、人から見て、自分で感じてとのギャップもあれば、「この点は良いがこの点はまだ」というのもあるだろうと思えます。

大切なことは                        立派でなくていい、間違っていてもいいということ。キチンと自分の胸に判断基準があって、チャレンジと反省が一定あり、単に世の常識や法律や評判に沿うだけの生き方ではなく、周りの環境や人たちに追従するだけでもなく、他からの批判は参考にしてもめげることはない。寂しさに勝てなくても良いが、負けずに踏みとどまることができる。(~とどまろうとしている。)孤立ではなく独立。一定の異性にもてている。人に迷惑をかけない努力と、感謝の気持ちがあり、自分だけで存在できないことに気づいている。リーダーかその経験者であり、責任等の大変さを知っている。正義はできるだけ表し捨てていない。(表面上はどうでも良い)といったところ。

では逆に自分の足で立っていない人はどういった人か。                           自分の好み、興味、好奇心がないか、薄く、具体的に動いていない。組織の人や家族同士で精神的にもたれあっていてぶつかることがなく、それでよいと思っている。理想や努力を軽視しがちで逆にそういった人を否定したりする。噂話が好きで世の中を嫌っているが改善の意欲はない。一方ではわがまま、ぜいたくである。(意識していない場合もある)豊かさは感じられない。食品添加物には関心がなく問題にしていない。(この国で関心がないのはとても危険です)選挙に行かない。政治の話題は無関心。人として大事なものが抜け落ちているのに気づいていない。例えば、責任や思いやり、人の気持ちや結果起きる事への配慮など。たいてい最後は逃げている。薄っぺら。できるだけ近づきたくない人である。先は見えている。

さて、ではどうしたら自分の足で立てるようになるのだろう。そして日本人の多くはなぜ他国の人よりその意識が薄いのだろう。野生の動物は個をもち、過酷な環境下でしっかり地に足をつけている。現代の日本人は恵まれた生活環境と立派すぎる先輩達の尽力によって、甘やかされてしまったのではないか。渋沢栄一や福沢諭吉、坂本龍馬、二宮金次郎、坂の上の雲の主の登場人物達等どなたか一人でもいなかったら、今のこの国はないであろう。一部の若い夫婦は平気に我が子をないがしろにしたりする。猫や犬にも劣っていないか。世界中どこでも見られることか。いつの時代もあったことか。情けない話。

第二の誕生という時期があった。倫理社会の授業である。それまで無意識に生きていたのが、こう生きるべきか?と意識しで生き始める頃の事を言う。十代後半である。けっこう上手くいかないことが多く、トライ&エラーの繰り返しや七転び八起きが必要であった。苦しい季節である。そういったつらさを少しでも減らせればと考えて自分の子達には幼い頃から自分の好みは大切にさせて尊重してきたつもりである。押し付けより相談といったらかっこよすぎるが、理想ではあった。 (本人達はどう思っているかは不明)                          海外ではどうか。アメリカの小学生は早熟に思えた。既に立っている気がした。なぜなら1人の個を感じられたのである。小さくても未熟でも一丁前なのである。(誤解もあるかもしれない)頭がいいとか優秀だからではない。個があることと、立派な人が多いこととは違う。映画ベストキッドやホームアローンを見ればわかるのでは。皆その人に合ったやり方が自然で、それらがその人らしさ、喜怒哀楽の大きさに比例している。当然楽しさ、苦しさもより大きくなるが、きっとより豊かである。人と比べて安心しているレベルでは幸福の定義もチンケなものになる気がする。  

「楽あれば苦あり」”EASY COME EASY GO”「若いうちの苦労は買ってでもしろ」「鉄は熱いうちに打て。」「若いうちに汗を流せ、そうでないと年をとって涙を流す。」(90歳すぎても筋トレは有効らしい)なんでもいいので人の三倍努力した人は多分人より大きなものを獲得して、より楽しい人生が待っていると思う。無理はしなくても良いけれど。自分の手を汚してみなければわからないことも多い。聞いて知るだけではダメで、経験して失敗して人の世話や助けにもなり、次回はよりよくできるようにする。その繰り返しでしか人は賢く、強くなれない気がする。エジソンの発明である。失敗ではなく経験なのである。次に生かす。だから助けてもらって当たり前ではダメである。他力は自分でやりながらわかること。なれあいとは違う。だから可愛い子には手を出し過ぎないことである。旅は大変、千尋の谷は厳しいだろうけれど。それこそ大きな愛情なのだろう。          

若いうちから努力してお金持ちになった人も多い。デビー夫人もそうである。(元インドネシア大統領夫人で芸能人)彼女の十代~の過ごし方は尊敬に値する。楽をして過ごす今の人たちとは違う。準備があったから果実を手に入れられた。そこには親、姉妹を養い、助ける覚悟もあった。平和な日本。しかしこれからは、ちょっと世の仕組みが変わればあっという間にひどい現実になる可能性も大きい。どうあれ後悔しない人生が楽しいのである。健康にしたって疾病信号、一病息災なのである。気づくことが大切      

一身独立して一国独立するという。一市民が独立していなければその国は独立しているとは言えない。自分の足で立ち、手を汚す。誰かに頼らず、(結果として頼ることになってしまうことはある・・・)意見は参考にしても決めるのは自分。価値観は人それぞれ。合わせることはない。自分の心で考えよう。

参考に    吉田拓郎 熱き想いをこめて この指とまれ  海援隊 肩より低く頭をたれて エネミー 誰もいないからそこを歩く(恋不思議B面)  反町隆史 POISON 布施明 少年よ   Mr.Children 未完 himawari  さだまさし 風に立つライオン  ※敬称略です。