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超 番外であり基本

個について
私たちがいつか創りたいもの。塾であり、共同体であり、営利集団であったりするけれど、基本はここにあります。司馬遼太郎氏の言葉であり、坂の上の雲に出てくるセリフであり、このブログの最重要の趣旨です。「日本人は個がまだできていない。武士道の精神を基本にして、今からかつての公共心、仁、義、礼を重んじて、一人一人が独立していかなければならない。」「一身独立して一国独立する。自分を甘やかさず質素を宗とする。若いうちに体に叩き込むほうが良い。」ある政治家が言っていたそうです。「その時の政治をなす政治家は、その時の国民のレベルを現わしている。内閣がよくないとすれば国民がそのレベルでしかないということ。」

知らず知らず自分をだまして生きてきていないか。面倒くさがって邪に過ごしていないか。戦っている人を笑う側にいないか。

もっと野望を持っていい。周りを気にしなくていい。そして、遠慮して本来、言ったり、やらなければならないことから逃げてはいけない。小さくても(大きければなお良いけれど)本当の自分を大切にして日々修行(そんな堅苦しくなくてもいいのだが)していかないとならないわけで。しかしそれは口で言うほど簡単ではありません。時間がかかり、時に血や涙や挫折や失望もありうる。外国の大人民主主義は歴史上幾多の先輩たちの努力や犠牲や革命や反省の上にやっと成り立っているわけで、日本人が明治からその方向に歩き出したとすれば、それは一部の士族や事業家、政治家などの努力であって、民衆が独立して為してきてはいない。まして、戦後はなおさらで、立ち直るのがやっとだった。

「地方自治は民主主義の学校である。」ジェームズ、ブライスの言葉ですが、私の卒論の出だしでした。市民参加の行政の在り方を町田市南成瀬地区でアンケートをとったりしました。一人一人が自分の足で立ち、立身する。つまり自分の食い扶持は自分で稼ぐのが基本。親や親せきに頼っているようでは、まだまだ一人前ではない。(まあ、そういう時期もあって仕方ないけれど、自分の立場と責任は果たすべき。そうでなければただの甘え。しょせんちゃんとした親や市民にはなれない。)基本は自分のことは自分でする。人に頼らず、迷惑をかけない。後始末、片付けも自分でする。誰かにやってもらって当然では情けない。世界中であたりまえなことでしょう。まず、そこです。積小為大でよい。時間をかけてもよい。体に叩き込み、浸み込むまで繰り返す。考え、情報を集める、楽しみながら、自分なりに。行動、反省、修正。その次に、周囲の社会に参加していく。議論し、作り、努力し、積み重ねていく。なれ合いや、利用は不要です。単純明快で協力していく。そうしてやっと、良い国になるのではないか。

私どもの最終目標は老人村としています。(いづれ私も近い将来そこへ行きます。)どこまで形にできるかわからないけれども、かつての自然村を発展、現代化して、年寄りたちが自ら主になって生活する村落がいくつもできていくような、そんな未来の高齢化社会があってもいいと考えているわけです。(世界の先進国の一モデルになるかもしれない。)事業としての老人福祉ではなく、老人がより人間らしく、独立して社会に参加、貢献できる共同体です。できれば利益も出したい。

一人一人が独立した個を作る。そこなくして良い社会や、国、世界はありえません。自分なりでいい。間違ってもいい。あきらめず楽しんで、泣いたり笑ったりして、立ち直り歩き出せるよう切に祈る次第です。

(しかし、実際には・・)家の中でも、職場の同僚の間にもいろいろ、様々で個は難しい。理屈ではない。まだ、高度経済成長時の父権の強い家、社会が楽でシンプルで、救いがあるような。今は50代前後の心ある人にとって受難の世の中なのかもしれない。(特に男)忍耐と笑顔と深い愛情が要る。なかなか凡人には難しいのだけれど・・・。小さい個と大きな個。争いあってもしかたない。時間がたてば答えは出る。謙虚で素直で絶対的な積極心があれば和合も見えてくるかもしれない。徳がないからと憂いたり、小さいからと諦めるのはよそう。日々新しく。辛抱はいつか活きるだろう。様々、いろいろ、好きでよい。一緒になることはない。とりあえず今は今。未来はまた違ってくるだろう。より良い未来につながる礎となってほしいのである。

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新型コロナついて

天災、試練、考えなければいけない時。よりよくなるためのキッカケにしなければいけないと思う。日本の一部専門家や現場の人のご苦労。病院の経営難、医師会と経済界の矛盾もあれば、医療費の差、システムも他国と比べると違いが大きいようである。医師は働きすぎ。改革が必要のようである。

もう誰かが用意してくれた恩恵のようなものの上にあぐらをかいている時ではない。年金も医療も限界がきている。借金は額が問題ではなく、ホッタらかして矛盾を正さず、正す意欲もなく、具体的な改善を考えようともしない雰囲気、体質に問題がある。日本が馬鹿でうずまっていくのに(もちろん、そうでない人もいる。)知らないフリをしていていいのか。大国に骨抜きにされ、未来を捨てたのか。大切な子孫の未来を。

困っている人がいる。希望も見えない。政治家、国のリーダーの言動は他国の民主主義に比べて、あまりにお粗末に感じてしまう。しかし、逆に言えばそれがこの国の現実なのだということ。表にたまたま出ていなかっただけ。

国民の側も問題がある。7月29日現在TVでコロナにうつった人が写真入りでビラがまかれたというニュースがありました。他にも誹謗中傷する人がいるという。国のリーダーの声明が欲しい。「公共心、武士道を思い出せ」と。権力を行使しても良い。ダメな国民をホッタラかしてはいけない。諭し、勇気づけて欲しい。国民のリーダーの職務。

この犯人(あえて言います。)は、いつ自分や家族がかかるかもしれない、想像力がない赤ちゃんなのである。年をけっこうくった人がやっている気がする。暇、金もあるのだろう。また、被害者の「~かな。」という話し方もよく聞く。なぜもっと本心を強く言わないのだろう。取材する側の指示だろうか。怒りをもっと前面にだしていい。報道への遠慮か自分自身にプライド、自信がないのか。外国から笑われることと自覚すべきである。「何を子供じみたことを大人がやっているのか。だから日本人はダメなんだ」と考える外国の大人民主主義の人達はたくさんいる。お金はあっても人間として未熟。幼稚、時にお人よし。情けない。

国のリーダーは民主主義のリーダーでもあって欲しい。語れない人はなるべきではない。変わって欲しい。今までなぜ改善の動きがなかったのか。マスコミもネットも、国民も。いつも問題が過ぎるとすぐに忘れてしまう日本人。しかし今回のコロナはそうはいかない。今のリーダー、、内閣、党、議員、彼らが変われないのなら、もっと違った形に変えていく時期に来ている。具体的には国を4つ位に分けるとか国民全員で総理大臣を選ぶとか。言うは易し行うは難し。じゃあ黙って見ているだけか。それで子供達や孫が大人になった時、こう言われたらどうする。「どうして、こんな国になるまであなたたちは放っておいたの。」「権利と義務はあったのでしょ。大人だったんだし。」私は少しは努力をしたと認めて欲しいと思い、今を過ごす。最初に書いたけれど、新型コロナは災害だけど、ピンチを今後の日本のチャンスに利用できる。「なぜ、あなたがしなければならないの?損よ。」確かに。そうしない人が多ければ残念ながらそうなる。

看護師など今後医療の道を目指される方。十分お気をつけ下さい。まずは日々の健康管理。食や運動、筋トレやストレッチも大事です。免疫力をつけて維持して下さい。ランニングもぜひ。

ワクチンができれば、これまでのインフルエンザと同じような扱いができるようになると思えるし、予防接種により未然にある程度防げるかもしれない。しかし、忘れてはいけない。この国にこれ以上の待ったはない。変わるか、馬鹿にされつつ落ちぶれ、利用されるかである。

貧富の差が決定的な死亡率の差につながった。国のリーダーが実際どれくらい信念をもって政治にかかわっていたか判別できた。本当の民主主義、民族、文化の存在意義、今後どんな社会になるべきなのかを一人一人が市民として考える国になれるかもしれない。あの国よりマシではなく自国の明日を、自分たちの未来を。

その一助として、小さなチャレンジとして私たちは新武士道を提唱しているのである。まずは身のまわりから少しずつ実現するしかなさそうである。やはり現実は甘くない。まず笑顔から。

久米さんお元気ですか。今後予想以上に、報道以上に大変な苦しい事態の人たちが増えるかもしれない。確かなこと、必要なことを誰かに伝えて頂きたいと切に祈っております。

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番外編 失敗について

最初失敗すること。これは良いこととされます。器用な人、能力のある人、慎重な人は失敗しにくくて、上司や先輩、目上の人から信頼されやすい。しかし、逆の人(私はたいてい間違い、失敗をします。)は「こいつはダメかな」と思われがちです。最初にファストフードのアルバイトをやった時も先輩にずい分、たぶんいじめられていました。副店長がたまたま私の大学の卒業生で(これも今思うとすごい偶然ですが)なんとか続けられました。一応一人前になってから辞めました。家で家事の手伝いを全くしていなかった。これが一番の要因です。友達に言わせると、決して割の良いバイトではないとのことでしたが、その会社が好きでした。大好きな俳優さんにも会えましたし。さて、失敗はするよりしないほうが良い。周りの人間関係もスムーズにいかなくなる。このへんは確かです。

以前から思っていたのですが、良い失敗と悪い失敗があります。また、伝える人、指示をする人の言い方や方法も関係します。年をとってある程度場数を踏んで思うのは、良い失敗を見抜く目を持ち、後輩やその組織のプラスになることをできれば伝え、変わるよう努力したい。人よりたくさん失敗している私の心境です。悪い失敗はたぶんいいかげんで、何度も繰り返して、反省がまったく見られず、直そうという努力、姿勢が感じられない人や場合でしょう。どっかの国のような。

さて結論です。偉い人エジソンは自分で失敗はしたことがないと、膨大な失敗をしつつ言っていたそうです。本田宗一郎さんも井深 大さんもたくさん失敗をして、工夫をして製品を作ってきました。最後まで成し遂げて、利益がでればOKです。しかし私たち凡人は、失敗から学ぶ姿勢をいつも持ちつつ、できれば二度めをせず、(しないための最大限の努力。必要なら勉強、誰かに相談をしたり調べたり、ネットでもググレます。)でもしたら、三度目は絶対にしないぞとさらに意識して、日々過ごしたいと思うのです。時にはわざと失敗させようとする動きがあるかもしれない。大きいこと、小さいこと、善意から、悪意から。しかし、とりあえずハードルは越えるしかない。でもよほどのことでない限り、自分でその会社を退職するような要因にはならないと思う。(ちょっと似たようなことが・・・でも決定要因ではなかった。)後悔をしないよう、全体を見回して、残った同僚の今後も考えて、タイムマシンからや衛星からの目も持ちつつ。生活に新しいルーチンを入れたり、気分転換の努力もして(美味しい飲食はけっこう有効)、「二度とおこさないぞ」としたいところです。ちなみにちょっと自慢ですが、以前塾を運営していた時のことです。ある次の年から二年連続、一年あけて計三回、通塾生第一志望百パーセント合格を成し遂げたことがありました。もちろん頑張ったのは生徒さんです。きっかけは、大きな後悔、悔しさ、申し訳なさからですが、その時の改善方法は今学校等では当たり前に進路指導で使われているようです。データーの質、地域性はバラツいていますが。

日々勉強、修行です。乗り越えられない問題は神は与えないと言います。そう信じたいです。打つ手は無限。でも無理はせず。美味しいビールとチーズ、良い音楽はおすすめです。

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超一流をめざす

休止前ラストの内容になります。書きたい思いで、我慢できなければまた始めるかもしれませんがとりあえず休憩、充電といたします。予告編としてその後の道をいくつか提示も致します。本当に私たちは(私は?)道が好きなようです。

仕事の道をあとで書くか未定ですが、このテーマ(柱は)一番仕事にかかわる内容になります。5年ほど前から実践しているつもりですが(その前はエースをめざしていました。)、何人かの同僚にも伝えていました。ある芸能人が同じことをおっしゃっていました。ムロツヨシさんです。8月から日本テレビ系でドラマに出演のようです。仕事、キャラクターに幅のある方だと思います。

上昇志向に他ならないかもしれない。なにもそこまでこだわらずとも日々おりあいをつけて、身分相応に、その位に素して行えばよいのかもしれません。カルロスゴーン氏の三つのリーダーの条件もずっと好きでした。結果を出し、継続する力。伝え、鼓舞すること。よいビジョンを持っていること。といったものです。どれも大事だと思います。これらのないリーダーは部下にとって災難です。加えて、部下に厳しくて良いけれど、彼らの気持ちに寄り添える人。お客様、周囲の人に真摯であろうとする人。そう完全な人なんていませんが、これらの邪魔をしていてはダメだと思います。

一流と超一流の違い。一流がその会社のトップと役員、部長クラス、アスリートでのオリンピック候補選手クラスとすると、超一流は役職や会社、時代、国を超えて通用する存在。歴史上の偉人などです。アスリートでは達人のような人。映画カラテキッドのパッド、モリタさん演じる先生のような。一流は生まれつきの能力が大事ですが、超一流は誰でも、いつでもめざせます。なぜ一流でなく超一流をめざすのか。そこが理由になります。

新型コロナが7月現在一段落しております。今後どのような影響が私たちの身の周りに起きてくるか。どう対処すべきなのか。皆が自分自身でしっかりと見据えて、こばまず、ゆがめず、真っ直ぐにすべてを受け止めて(Mr.children足音より)乗り越える努力をしたいものです。天地人という言葉があります。上杉謙信の意味するところでは、天の時、地の利、人の和が戦「いくさ」の勝利、事の成功につながるとします。逆で考えれば、どれかが欠けると事は成りにくいということになります。同じ内容、思いで正義であっても。組織や企業の存続が危ぶまれれば、一個人は犠牲になりかねないかもしれない。しかし、一人一人生活があり、なかには家族を抱え、借金返済中もありうる。誰かにおとしいれられたらどうするか。ムリはし過ぎず、逃げったって恥ではない。でも、超一流をめざすことはダメージを減らし、次につなげる薬にもなると思えます。

どう行うか。今ついている仕事がどうあれ、それのプロに徹します。(向き、不向きがあるかもしれない。どうしても合わない場合は除きますが3年は我慢したい。)同僚の中で一番がエースだとすると、それ以上の存在を目指します。(なれなくても良い。目指すのです。)各自、長所、短所は凡人なら誰にもあります。その人らしくでOKです。ただし弱点でも、工夫して平均以上のレベルにはしたい。うまくやっている人や先輩に聞きつつ、腕を磨きます。さらに今後の課題や同業他社の動きも知ろう。数年後の予想もしましょう。業界の今後や過去の歴史も役にたつかもしれません。超一流は虫の目、魚の目、鳥の目、衛星の目、タイムマシンからの目を持ちます。ただし、あくまで自分なりにで良いと思います。多少違っていてもよい。(気づいたら直しましょう。)むしろ絶対コレは危険です。拒否せず参考にすれば良い。なによりやっていておもしろくなければ、やりがいにつながりません。人の評価より昨日の自分をライバルにしましょう。(少しは妥協も・・)

そうしていると、つぎのようなメリットがあります。①精神衛生上負担が減り、文句、グチの代わりに前向きな気持ちになれます。自分を伸ばすことに集中します。失敗は2回まで。それを確実になくす工夫を。②一流の方と友達になりやすい。仲間もできやすい。類は友を呼びます。運がよければ良い異動や昇進につながるかもしれません。③自分の仕事が上手になれば、時間の使い方や人との連携の仕方、スキルが身につきます。その現場力は他社や異業種でも通用します。不平不満だけで転職した人とは雲泥の差です。仕事の基本は同じ部分があります。実力は必ずついてきます。④周囲の問題が少しずつ改善されやすい。それがさらに負担減になります。戦わなくてもなぜか好転していく。(自分と戦っているところはあります。)言動、姿勢は他者に影響します。人はなにげに見ています。良い判断にも気づくはずです。時間と共にです。(もちろん絶対ではありませんが)

朝ドラの主人公です。(最近は多様性が見られますが・・)主人公は初め逆境で苦労し、歯をくいしばって努力し、成功。周囲の人と仲直り。みんなハッピーに。超一流の物語です。あれをイメージして日々負けないように。

高齢化社会で少子化。今後企業はどう社員を扱うのだろう。元気のない一部上場企業に高給だからとしがみつくのは危険では。天は自ら助けるものを助く。そう信じたい。なるべく後悔しないですむように。

さて、晩酌しながら「どうしようもない会社だ。」とうさを晴らして一日の疲れをとり、次の日家族のために我慢して仕事にでかける。ひと昔前はそれでも報われる状況があったかもしれません。しかし、これからはそう簡単ではないと思います。どうせなら楽しい道を行きましょう、AIも今後かなり作業内容を変えていきます。勤務時間も減るでしょう。超一流をめざせば気づきが増えます。そうすると視野も広がります。我慢は人のためより次の自分のためにしましょう。自分を大事にすべきです。次に家族。

自分だけにできる何かを持っている人は強いです。世の流行りすたりはありますが。国外に目を向けるのも大事だと思います。若ければなおさらです。今、ここで、できる最善を尽くす。将来一番良いと思える場所につける可能性が増えるやり方で。もちろん、その時の人、状況にもよります。絶対ではない。「二つ良いこと。さてなきものよ。」河合隼雄。このブログの触覚とさせて頂いております。

梅原猛氏的超一流に触れます。初めラクダの時代です。来る日も来る日も同じことを繰り返します、決して楽ではありません。砂漠で荷物もあります。水だっていつ飲めることか。でもこの単調な繰り返しこそが基本中の基本とします。野球の素振りでしょうか。次にライオンの時代です。十分に知り、慣れ、こなせるために冒険をしたくなります。指導者や既存の勢力に噛みついたりします。勝てない時もあります。傷だらけです。でも戦い続けます。ライオンですから。さて最後は赤ちゃんの時代です。ライオンは突然赤ちゃんに変わります。一見弱そうです。しかしライオンには到底できないことを為す存在です。これまでの経験を熟成させて新しいものを生み出す力を持っています。無邪気に事を成し遂げることができます。

哲学者の発想です。梅原氏自身がこの赤ちゃんの存在でした。歴史上の新しい真実を見つけ、唱え、歴史を書き換えるのに成功しています。傷も負ったはずです。でも稲盛氏が一億円を研究費にポンと寄付したり(一分ほど考えたそうですが)、歴代総理大臣が教えを乞うこともあったようです。なのに亡くなった時のマスコミの取り上げ方は小さかった。誰かに遠慮したのでしょうか。原発には反対されていました。NHKが特集を一回行っただけ。残念です。いろは歌の謎はぞっとしました。柿本人麻呂が獄中で作ったとしています。

ラクダ、ライオン、赤ちゃんの時代。これらの根っこにはニーチェの思想があるようです。難しく感じますが、例えば算数の九九を思い出してみて下さい。初めは何度も何度も声に出しながら繰り返し練習し、苦労して習得します。次にひけらかしたくなりませんでしたか。自慢したくなったり。まあどっちにせよ計算で使い始めます。割り算までこなすと、大体無意識に使いこなせるレベルだったと思います。赤ちゃんのように柔軟に自由自在です。

梅原氏は学問のすすめで次のようにも言っています。「偽物のライオン、赤ちゃんより本物のラクダのほうがずっと価値がある。どんな仕事、芸術にせよ一流の存在になるためにはこの三段階を必ず経験している。交じった状況もある。」実は日本にも同じ考え方があります。守破離です。剣道で教わりました。

超一流を目指す理由を考えたことがあります。たぶん怒りです。最近の怒りはレジ袋の財務省、違和感。こんなじゃ日本は美しくできないでしょ。土に変わるプラスチックも研究されています。石油からでなく植物から作られます。材質を変えればいい。研究が進まないのか、進めるとまずいのか。将来の希望より今のお金と安泰か。声が上がらない。つまらない国にどんどんなっていく。スーパーはサービスの低下。売る方も、買う方も嫌な気分。お客の立場弱くして、強制でやるしか能のない政治家と官僚。何をコントロールしたいの?なぜ、皆が嬉しくなるような明るい夢を提案できないの。厳しくたっていい。国民を馬鹿扱いして、お茶をにごすやり方にうんざり。怒りましょう。そうしないほうが馬鹿な現実になるのでは。いつのまにか一部の献身的な努力で帳尻があったって、そんなもの民主主義ではない。怒っているほうが馬鹿に見られて嫌ですか。30年以上前に書かれた本、宮本武蔵の一巻です。(吉川英治)「そうだそうだ、それくらい怒ってみなければ本当の生命力も、人間の味も、でては来ぬ。近頃の人間は、怒らぬことをもって知識人であるとしたり、人間の奥行きとみせかけたりしているが、そんな老成ぶった振る舞いを若い奴らが真似るに至っては言語道断じゃ、若い者は、怒らにゃいかん。もっと怒れ、もっと怒れ」//「男児の怒りは公憤でなければいかん。われのみの小さな感情で怒るのは、女性の怒りというものだ。」//「それだけの力を、国家のため、とまでいわん、せめて、他人のためにそそいでみい、天地はおろか神も動く。-いわんや人をや」沢庵和尚の言葉です。又八より武蔵がかっこよかった。剣道の起源は柳生石舟斎と宮本武蔵のようです。吉川英治氏には高校の時から学ばせていただいております。新しい力は元気な若者の挑戦からしか生まれません。今の政治への反動をひたすら期待します。私たちもできるだけ努力!

最後に今後の道をご案内致します。決定事項のみにするよう塾長からきつく言われております。(順不同)バイクの道、音楽の道、食の道、ボーリング、スキーの道、子育ての道、夫婦道、魂のカラオケ道、家事道(特に掃除、洗い物)、勉強の道などです。乞うご期待です。ではとりあえずsee youです。

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積小為大

童門冬二氏の二宮尊徳から引用させて頂いております。江戸時代農民だった尊徳は農民を中心とした改革によって藩、武士を救います。その実績、ノウハウは時の将軍にまで知れ渡ったようです。弱い農民達は尊徳を信じ、追いかけて、少しずつ変わり、裕福になっていきます。しかし、安易な道ではなかった。尊徳はだからこの言葉を用いたのだと思います。少しの努力でいい。継続して積み重ねよう。時間とともにそれらは大きな成果になりうる。私はそう理解しました。小さい積み重ねで大きく為せ。事も成る。とも繋がりそうです。ちばあきお氏のキャプテン、プレイボールの谷口君のお父さんのセリフに他ならないと思いますが、フィクションでは・・・実際はわかりやすい。谷口君がこの理念そのものと思います。

童門冬二氏の小説上杉鷹山が権力者、為政者によるトップダウン型江戸時代の藩経済改革(ケネディ大統領も高く評価されたようです。アメリカ人のトップが一日本人を尊敬しています。)なら、二宮尊徳という下層の農民、庶民のリーダーによるボトムアップ型の経済改革と言えます。積小為大は一番弱い立場の庶民たちが、世の矛盾、自然災害に立ち向かい、ひいては藩の経済改革まで成功させたという側面があります。すごいリーダーがいたものです。昔小学校で銅像がたくさんあったのもうなずけます。

私が提唱させてもらうまでには仕事面、掃除、片付け面他などでの手ごたえと実践結果があります。その一部を簡単に伝えます。

仕事である改善したいことがありました。(たいした事ではないのですが)一人でやるには時間がかかり、無理に思える。一度にやるにはコストがかかり、うまくいかないかもしれない。実際現場の仕事は現場作業者が実は一番よく知っています。ただ日々いそがしく、余裕がないため改善まで頭も手もまわらない。(能力の有無はここでは述べません)道具がないときもある。ノウハウ、経験がなければなおさらです。手をだすだけ損。上司に伝えてダメならほっとく。大方はそんなところでしょう。

手持ちの材料で小さい改善をします。隙間時間で作り、セット。支障がでないよう万全の上です。試してみます。様子を見ます。すこしマシ。次のタイミングに更に改善。数回繰り返して、うまくいくことがあります。(気づきがある時もあり) 現場力のあらわれです。一生の宝になります。マニュアル化したいところです。

家で自分の部屋がとても散らかっています。以前ならやる時はやる。そうでないとなかなか手をつけない人でした。ふと5分だけやろうと思いました。一日二日ではダメですが、しばらく毎日そうしていると欲やアイデアもあって、いつのまにかストレスとは無縁の快適な空間に。(コンマリさんもやったかな。英語にもなっているとか)それを見た子供が、あれほど言っても片づけなかったのにたまにやるようになっている。

マトメるとこれは決して有能な人、力のある人がが行う方法ではないと思えます。センスや才能のある人はいます。しかし凡人が現状に満足せずなんとかしたい時、人が何と言おうが想いがあって、後悔しない毎日にしたい時(評価やお金にならずとも)、誰でもやれて結果もでやすい。大勢でやれればなお良いでしょう。優れたリーダーのもとであれば申し分ありません。WINWINの関係で将来に備えられると考えます。たとえ今がどんなに大変でも、種をまけば育ち、広がる可能性はある。足音は誰かが聞いている。明日世界が終わるとも、それでも私はリンゴの木を植えるという言葉もあります。

積小為大はもと東京都知事の右腕だった童門冬二氏の言葉です。地方自治のプロ管理職、公務員でした。当時は美濃部さんが都知事です。福祉と対話を重視した都政を行っていた。童門氏は知事と共に都庁内の改革をずいぶん手掛けたようです。ある意味やり切っていらっしゃった方です。50歳過ぎて作家に専念されています。深夜の映画館が好きでいらっしゃたとか。偶然わたしは直筆サイン入りの文庫本を入手しました。アマゾン中古本でした。新世や致知に連載もされたりする方です。この言葉に会えてよかったと思っています。

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少し休憩 人のふりみて~

最近友人、知人にこのブログを案内させて頂きました。反応がほとんどありません。コメントを少しでもいただきたいです。しかし、私たち二人でたまたま飲んで話しました。結論として次のように決めました。積小為大、超一流を目指す、の二つを書いたら少し休もう。社会的地位、名声がない私たちは、ここでもっと力を蓄えて、次の目標に向けて地力をつけよう。とりあえずスタートはできた。評価は今一。しかしやめるつもりはありません。

それぞれの今後は、私は英検の次の級取得をめざす。プライベート、仕事でもうちっとマシと思える状態になれるよう努力する。認めてもらえるようなかな。中野信子さんが「人はなぜ他人を許せないないのか?」で正義中毒の快楽という言葉を使っていました。最近それに近かったかもしれません。アオリ運転などもその発展形のような気もするのですが、周りの人の気持ちや置かれた状況をあまり考えずその時の思いでクレーマーのような言動に走る。わたしの場合、決してその時の気分ではありませんが・・・。「狂い始めてる歯車にからみつき」~俺を許してくれ、拓郎~。どうやらそのへんが今改善の余地があるのかも。一般庶民だし。落ち着き、柔軟さ、笑顔をキーワードとしつつ。

人のアラはよく見えるけれど、自分も似たようなことを実はしていた。人の振りみてわが振り直せと言います。批判を反省に。蟷螂の斧(とうろうのおの)は百も承知ですが、周囲からの理解を得られる努力、認識が足りないと思います。足元をかためます。

塾長はビジネス面で資金調達をさらに加速できるよう集中するそうです。好きなお酒をどこまで減らせるかが鍵だと思います。株取引能力向上、御寄附の依頼を念頭に営業活動を少しずつ行うそうです。

では一時休止前のこのブログの柱の二つについて書きます。これらは私たちの今の心境でもあります。


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運動の道 P3

高齢な芸能人で今も活躍されている方はたいてい体のトレーニングをしているようです。その方のプロ意識が仕事や私生活に必要と考えて行われているのだと思います。筋肉のよろいをつけることで加齢によって弱くなっている骨や関節等を守っていくイメージ。それに体の使い方。例えば肉体労働なら、気をつけなければいけないのはやはり腰です。重いものを持ち上げる時のコツ2つ。(引き寄せ、隙間をあけない。屈伸やバネを使う。)支障の出やすい部位もあります。例えば膝の痛み(水がたまるなど)私は曽野綾子さんの真似をして漢方薬で直しました。まあどっちにせよ、普段からの心がけが大事です。筋トレ等の継続によってずい分それらの問題を減らせたりなくしたりできます。

高齢化社会で筋トレはとても大切だと思います。体操も必要なこと。毎朝公園に集まってラジオ体操をするお年寄り達は他の意味でも良いことと考えます。やる場所については、できれば屋根があって雨の日もOKだと尚良い。(今後は屋内でできる施設も作りやすいのでは。空き家も増えます。)サプリメントや整形医のお世話になっている人も多いでしょう、医療費も高齢ならそう高くないかもしれない。しかし、筋トレは90歳でも有効だそうです。いくつになっても筋肉をつけられる。大事なことは無理をしないこと。そして、痛かったら休むか、止めて、必要に応じて信頼できる医療関係者に相談すること。できるだけ自分の体は自分でなんとかする。身の回りのこと、やり続けたいことは一日でも長く続ける。誰かの世話にならなければならない時もあるかもしれない。謙虚に感謝しつつ、でも頼らず、甘えすぎず、日々努力を続けたい。道場に通う的な動きも可能ならあったほうが良いと思うのです。お金もいくらか払いつつ、仲間や所属する場所はあったほうが良い。残念ながら家族や親類だけに頼れる社会ではなくなると思う。もちろんそれがOKなら、それにこしたことことはありません。

子供たちへの運動として・・・・・・・・・・・・・・・・・・何歳から始めたら良いのか。ゴルフ、テニスやフュギアスケートの英才教育はオリンピックレベルで4歳~とか聞きますが、よくわかりません。剣道などは親がやらせたくて、小学校に入る前から中学か高校まではなんとかやるけれど。当の本人はその後、もう二度とやらないというパターンも残念ながら多いです。

大切なことは指導者の質だと考えます。人格、教育観、実績も大事かもしれない。魅力的な大人の指導者が町内にいて、たまたま教えてもらえた。得難い幸運の場合もあります。私が大学一年の時の体育の先生。前に書きましたが、出会えて幸運でした。とても。どこか修禅者のような雰囲気がありました。そういえば中学の時の塾の先生も。(私もそんな人になれるだろうか。)

子供たちは一定の時期に、体力測定をされていると思います。その子の向き、不向きや隠された特性、将来花開くかもしれない能力に早くに分かればそれにこしたことはありません。しかし今後、年齢に応じた各種運動の経験は今以上に必要ではないでしょうか。遊びレベルでも良いのですが。最近の子達は以前より体力が落ちてきているようです。外で遊ぶより中で遊ぶことが多くなっていたり、スポーツもやる人、やらない人がはっきりしてきている。(体育会系の運動経験は就職後、会社から重宝がられるようです。最初ですが)

強制して運動させるのも、ある程度子供たちにあったほうが良いと思います。嫌がってもやらせ、できるだけ継続させる。でも(ここが大事で難しいのですが)、例外はあり。坂本龍馬タイプやエジソンがいるかもしれない。しかし、必要なフィルターではある。今後AIが普及、活用される世の中にあって、体の使い方は一定大事ではないでしょうか。保育園や学校で行われているでしょうが、その年齢に応じた運動があります。敏捷性を重視する時期、筋肉をあまりつけないほうが良い年齢など。(身長が伸びなくなることがある。)ダンスも運動でしょう。様々ですがいづれは本人が選び、決めればいい。しかし、誰でも最初はあります。よく遊び、よく学べ、健全な精神は健全な身体に宿る、文武両道です。心身のバランスの問題です。(吐く息は大切です。詳しくは新剣道で)

町内に元プロの運動選手が住んでいるとします。そういった人と触れ合うことは意味があるのでは。一流の芸は万芸に通じると思います。また、超一流を目指していれば一流の人でなかったとしても通じるところはあると思います。(これも後で・・)結果や評価ではなく姿勢です。そして、そのうちに何かしらの場所には行ける。そこでまた考え、試せばいい。きっと楽しい生き方だと思うのです。

さて運動の道もそろそろ終わりに近づきました。まだ伝えていないことが、阻害要因でした。はっきり言えば、酒、たばこ、やり過ぎだと思います。自分の体に聞くことです。毎日ストップウォッチで走るタイムを計っていた時、これらが良くないと感じました。また、けがなどによる長期のブランクも筋肉を衰えさせるせいか、びっくりする位悪いタイムになりました。まあ走れるだけましでしょ、治ってよかったじゃない。そう言われればそうなのですが。これらのタイムはピークが人によって様々なようです。どの年齢になるか。いつまでキープ、改善できるか。ある程度はあきらめも必要かもしれません。剣客商売でその場面があります。小兵衛がある日体調に変調をきたします。そういうもので、老いからは誰も逃れられないとされます。しかし、終わりではない。その場その場なりな楽しみがきっと見つけられます。別な強みも発見できるかもしれない。熟成のような。まだまだ未完でいいんだと考えたほうが楽しい。

運動の道はここまでです。今回も読んで頂きありがとうございます。少しずつ整理しますが最初をまず読んで頂かないと、なんのブログかわかりません。4月13日のものです。チェックしてもらえば幸いです。梅桜yoshitakeh

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こぼれ話2

ナイトハイク ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 大学の頃、オープンナイトハイクに2回参加しました。夜中に地図を片手に街中を50km走る(歩く可)といったものです。9月後半、季節は秋です。このイベントは普段100kmハイク(山手線一周とかもあるらしい。)を行う組織でローバー、アダルトスカウトという方達が(カウボーイ姿が正装で、健全な社会人リーダーになるぞと言わんばかりに日々精進しているようでした。)年一回大学内で一般参加を募り、開催、全面協力をしていました。私は二回出させて頂きましたが、これは達成感がすごくあり、身体もきたえられるし仲間もできる、とても良いものと思っています。若いうちにぜひ多くの人にも経験して欲しいのだけれど。(実は今の会社でやってみたい夢の一つでした・・・。)もちろん、トライアスロンはこの上をいきます。

一回目です。10km地点まで一位、そこから一人に抜かれ二位になりました。この人は速かった。夜6時頃スタートしましたので7時くらいです。だんだんペースが落ちてきました。毎夜10Kmまでは走って練習していましたが、その先は未知の世界だったのです。15km位来て、なんと力尽きます。さすがに道にこそ倒れませんでしたが、当時は携帯電話もなく、しかたなく赤電話連絡をとファミリーレストランに入りました。そこで意識がなくなります。気づいたのは40分後位でした。ゼッケンをつけて走っていましたので、店の人も不審がらずそっとしておいてくれたようです。ここで迷いました。棄権をするかどうかです。応援してくれた先輩の顔(彼は過去に優勝していました)も浮かびます。その時点で私の順位は10位以下に落ちていました。しかし、意外に体力は回復していました。万全ではなく、足の疲れ、痛みはひどかったのですがなんとか動けました。そこでゆっくりと走りだしました。チョコマカ走りです。(後で知ったのですが、普通経験者たちは速歩きで歩き切るようです。ペースは私と似たようなものです。)

さて、私は悟っていました。私の生まれ持っての実力はしょせんこの位でしかないのだと。相当普段から鍛えているつもりだったけれど、誰もが一流になれるわけではないのだと。(これもどうかと今は思いますが・・・)だから、私なりのペースでやれるだけやればいいんだと。どうしてもダメならそこでやめればいい。

いくつかの休憩ポイントを経て、30km、40km。そのうち少しずつ順位が上がり始めました。歩いている人もいて、私のペースの方が少し速かったのです。ゴールは4位でした。途中見た川の水は全部飲めそうな気がしました。一口つけたコーラは喉が痛くとても飲めませんでした。走り終え、先輩が待機してくれていて、飲みものを用意してくれたりしました。そのまま部室で爆睡し、足の痛みは治るのに3日かかりました。教訓として、①クツは大事②クツ下は2枚履いたほうが良い。③ストレッチは大事④遅い走りで良いから、ずっと続けていければ入賞はできる。これらはその二年後に活かされることになりますが、それはまた、次の機会に。そこにもドラマがありました。

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運動の道 P2

ストレッチ、体操です。かの松田聖子さんは毎朝ストレッチを朝の日課にしているそうです。実は私も今でこそ毎日ではありませんが、10年以上ほぼ毎日やっていました。以前、草野球でよく太もも後ろの肉離れをしました。肉離れは実は筋肉の骨折だそうです。折れているから直るのには時間がかかります。そこで予防のためストレッチを毎朝始めました。肉離れはその後一度もありませんが、怪しい時は休んだり、無理をしないよいうにはしています。以前家の近くに市の体育館があり、よくランニングコースを走り、筋トレし、ストレッチで締めていました。室内に一連のストレッチ体操順があり、それが好きで未だにやっています。たまたま外部用のプリントもあり持ち帰れました。これには助かりました。その後剣道を子供と一緒に10年やりましたが、ストレッチは必要だったと思います。大きな怪我もなく42歳からずっと続けられたのだから。やるとわかりますが、筋肉に空気を入れる感じです。呼吸のタイミングも大事です。勢いをつけてはいけません。機会があれば掲示させて頂きますが、今は技術が足りません。すみません。

体操です。体操と言えばラジオ体操でしょう。NHK第一放送です。職場でもやっていますが、確実効果ありです。体の最低限の疲れや負荷を減らすことはできますし、実際生命保険の会社が活用し、支払いが減って利益を増やすことができたようです。しかし実は完璧にやっている人にはほとんど会ったことがありません。映像で確認していない人が多いので当然ですが、DVDできちんと一度見られることをお勧めします。(一か所だけなんだけど・・・間違い探しのような)

ストレッチは10分位、ラジオ体操は第一で5分位、第二足しても10分位と思います。

P.S ここで蛇足かもしれませんが付け足します。筋トレとストレッチ、(ラジオ体操など)で体はよく管理できると思っていたのですが、筋肉のよろいも硬すぎるとよくなく、血行をよくするために湯につかる(漢方薬なども有効)など温めることも大事で、休ませること、体勢に気をつかうことを年齢や仕事内容、椅子に座っている時間などから自分の体と相談して改善、注意があったほうがよさそうです。やはり医療の信頼できる人がそばにいたほうが良いと思います。実際今回経験しましたので付け足します。痛み、動きに留意です。

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ちょっとはずれて (ダメなところ私編 今の課題我が家編)

人の話を聞かないとよく言われる。言いたい、聞けない。偉い人はたいてい逆で、耳は2つ口は1つだから。うん、気をつけたい。人に何かを言われて、わからない時がある。教えられても理解できない時がある。そういう時は後で考えて予想し、想定でやって、あとで調整(怒られたり)する。弱点、欠点は誰にでもあるけれど、しかし時にこれは長所、特技に変わることもあるようだ。二つ良いことさてなきものよの逆で、二つ悪いことも実はあまり無いのかもしれない。曽野綾子氏が似たことをおっしゃていたと思う。人はどんなことからも学ぶ。良いこと、悪いことどっちからも。さて、ことを為す人は人から教わるタイプではなく、自分で苦労して覚えるタイプの方だと言う。ことは為さなくてもいいからスマートなほうがいいと思っていた。生まれつき持ってくる苦の深く大きい人が事を為すとも言う。そんな大それたことは考えていませんが・・・普通にあこがれていた時もある。皆人それぞれ、完璧な人はいない。年が若ければなおさらである。お互い慣れあったり、もたれ合ったりしてはいけないが、互いに自己主張しつつも(常に言わなくてもいい)ちょっとずつまともになれるよう、お互いの良い点、悪い点を少しは客観的にとらえつつ、相手が気づくまでタンタンと目の前のことをやるしかなそうである。攻撃的にならないよう注意。凡人だからたまに嫌味の一つ位言いたいけれど。しかしながら、お互いの個は必ず進化していくと思う。自己中のわがままも個人の意見に発展する根になりえるのではないか。周りを見回してみる事である。自分だけが特別ではなく、自分がいることで困っている人がいるのではないか。人に迷惑をかけないように。相当気をつけていてもかけてしまうことがある。生きていてごめんなさい的な、でもこれだけは譲れないのですみたいなものは、きっと個の意見の種や根になりうると思う。育てるための水、栄養剤は、その環境や理解者の協力、援助といったところ。変化が起きる時。良くも悪くもだけれど、その始まりは一人の想いからだと思う。つらい、厳しい前途が待っていたら困るけれど、想いの強さで乗り切りたいが、でもめげそうな時、そんな時はこう思いたい。無理は禁物。抜けてて結構。小泉今日子さんは抜けてるイメージがあったけど(渚のハイカラ人形からかな)、いまこそ熟成された大人の存在のちょっとダメな部分を見せて欲しいな。安心するし。もとい。できれば明るく、あまり怒らず、ちょっとずつマシな自分(一日1mm。大自然~)、相手との関係、家族生活になるよう。祈りつつ、反省、挑戦、調整、(see do plan )の繰り返しをしたいものだと思う。年長者は諦めてはいけない。うるさすぎてもいけない。ちょっと嫌がられつつ、憎めないけどまあ、一理あるくらいな存在を目指したい。三匹のおっさんのように。そうでない年長者は世の役にたてない人だと思う。年はくっても自己中心的な人であろう。積小為大は大事な柱。数年後、数十年後、それぞれのタイプは時間がたてばその差が歴然と表れるのに違いない。きっと住んでいるところに。周りの笑顔の数に。