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健康への道2plus

さてギックリ腰になってしまった。医者がそう言ったのである。なるほど症状に間違いはない。58歳になって初めてだった。しかし魔女の一撃といういきなりの「ぐきっ」ではなかった。少し前にも似た感じはあり、その時は自分で直せた。だから意外でありまた、ちょっとショックだった。これまで腰は大丈夫が自慢の一つであり、「腰は大事」と言った恩師の教えを守りきれなかったことになる。この残念な経験から集めた情報と多分治りつつある今と今後に道を残したく、相変わらずの自説ではあるが書きたい。また家族に座禅をもうちょっと詳しく伝えたく、一緒に書くことにした。経験20年以上の適当座禅であるが役にはたっている。

座禅 あるお寺の住職さんから教わった種をもとに、これまで20年近くやってきたやり方です。

①姿勢よく座る。座り方は一定あるのだろうけれど私は正座で良く、右足親指は上にしたほうがよさそう。(剣道より)また椅子等に座ってもできると思う。座り方より座る姿勢が大事。腰を曲げず、背筋を伸ばし、肩の力をできるだけ抜きあごを引く。頭のてっぺんは真上、天に合わせる。上半身をできるだけまっすぐにする。手は両親指先をくっつけて、お椀上に組み、足の付け根の膝の上に置く。右手が下。左が上②目は閉じるか薄目で(初心者はこっちが良い)50cm~1m位先の床のある一点を静かに見続ける。なにか目的物がなければ置けばいい。小さくてよい。③一番大事なこと。その状態で呼吸の数をひたすら数える。鼻呼吸か鼻から吸って口から吐くのもよい。(よりベター)その毎回吐く時に呼吸数を数える。心で1~10まで数えたら、また1に戻る。それをずっと繰り返す。そこに気持ちを集中する。ここが基本。④時間は15分以上がよい。さらに長い方が良いのだけれど、一回の座禅時間を長くするよりもできるだけ毎日続けるほうが良い。一日二回も可。まず100日を目標にしたい。三日坊主も続ければO.K.。お勧めは朝起きてすぐやること。寝る前は眠気も呼ぶが悪くない。眠気に負けたら寝てもよいと思う。(ずっとそんな日が続くのはよくないが。)⑤さて、座禅をやり出すと雑念がわき、その時の心配事や気になることが心に浮かぶ。(そんな時ほどやったほうが良い。)その浮かんだものをそのつど消していくのである。例えば、大きなシャッターかカーテンでその画像などを閉じるイメージ。その浮かんだものに捕らわれないようにする。(ガチャンと音をたててシャッターが閉まるイメージも良いと思う。思いっきり閉めてしまおう。)慣れるとより上手にできるようにってくる。一番強い心の状態、これから更に強くなれる心とは「何かにとらわれない心」だと思う。そのニュートラルが気づきを呼ぶ。これはあとで。⑤肩こりも一定改善される。5分もすると肩の力みに気づく。そのつど軽く上下にゆするとよい。凝り方にもよるけれど一定改善されてくる。なんにせよ力みは敵なので解放されたい。⑥心地よい状態になったら終えてよいと思う。さっきも書いたが15分以上はかかると思う。重ければ時間はかかる。でも一時間以上したことはない。(足もしびれる)続けて、気づくことが大事。⑦終えた後の感覚。最近はあまり意識していないけれど、必要に迫られた時期は間違いなく心が強くなる感覚で「さて、一日なんとかやってみるか。」的な感じだった。一歩前に出る。備えて生活できる。そんな気持ちにはなれると思う。

気づきは応用編になる。何物(者)にもとらわれない心が目標なのだが、それとは別に静かにスーっとある大事なことが浮かんでくることがある。その時はちょっと中断して箇条書きに紙に書いておく。書いたらまた再開。雑念?(書いた内容)は締め出してしまおう。座禅終了後に確認すればいい。活かせたら活かす。今日このタイミングで役立つことが実は多々あり、よい思いつきになることもある。それらは座禅によって導かれる宝物のようなものだと思う。(悟りの一種かもしれない。)本当に今必要なこと(ささやかもしれない)は無意識の中ににあって、それが答えに近づいていってくれるのかもしれない。私が知っている座禅を活かした偉人、有名人。王貞治さんやある役者さん(名前忘れた。すみません) 他多数。思い出したら加筆します。

座禅で悟りを得て、皆幸せになり良い世の中になるか。宗教談義である。本当に座禅を活かし導ける人は何万人に一人であろうという説がある。だから日本人だからといって皆そこまで行けなくてもよいのである。気楽に生活の一助の一つになればOK.であろう。緊張しやすい人や、慣れない場所で困っている時や、ストレスに負けそうな時。きっと役立つと思う(経験より)。

ギックリ腰 捻挫(ねんざ)とは違い、休ませるだけでは治りにくい。急性期にはまず休み、その後はなるべく無理なく、しかし甘やかさず動いたほうが良いようだ。

腹筋と背筋は少しずつでもつけたほうが良く、再発防止に役立つに違いない。歩き、走りは大事なこと。足腰は運動の基本で、古今東西大切な健康の珠玉と知るべし。ぜひ続けたい。毎朝ストレッチ(近日公開予定)、ラジオ体操も効果あり(第一は予防、第二は増進とか、幻の第三もあるようだ)。日々のメンテナンスが大事。(やりすぎには注意。私もサーキットトレーニングは週三回以下にして、二日は休んでいる。8時間立ち仕事の現状では・・。歩き等は別)

さて、意外に長引いている。一週間たってもまだダメージが残っている。通常の生活はできてきた。仕事中も腰椎ベルトを外し始めた。でも完治にはまだかかりそう。仕事柄仕方なさそう。なのでとりあえず公開。後で加筆したい。

原因は何か? 一つは車を変えたこと。座席の位置が以前と違い、どちらかというとトラックに近いバン状のためだと思う。他に2.3あった。原因がわかりづらいのが普通らしい。何人かに聞いたけれど一定の仕事で長年動き回っていても全く経験していない人も多く、むしろあれこれ動きの変わる仕事現場だったり、事務職の人、こだわりの強い人にありがちのように感じた。長距離トラック運転手は多いらしい。年齢もある。

車の運転座席シート下部にクッションも置いた。同僚のアドバイスによる。(百均にある)※一週間半で一応完治。他のところが筋肉痛になったけれど・・・。

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勝 海舟という人

番外編 表題なしで書いています。以前から尊敬し、憧れ、目指す・・目指したい、微妙な、大きすぎる稀代の英雄でした。未だに子供の頃見たNHK大河ドラマの倉本聰さん脚本のワンシーンを覚えています。NHK社内トラブルのため、半ばでとりやめられたそうですが、その後富良野塾を作られています。

外国語の辞書を二冊書き写す。当時中学生の私には到底できませんでした。偉い人はすごいことをするものだと思っていました。今からならなんとかなるかもしれない。10年もあればですが。

それだけ時代の移り変わるはざまで情熱を燃やしておられたのでしょう。お父さんも偉い人だった。清水の次郎長の師匠ですか。日本が欧米の植民地にならずに済んだ理由に、間違いなくこの人の尽力と弟子の坂本龍馬の存在もあげられると思います。

最後まで慶喜公を大切にして、幕臣の筋を通した姿も武士道に他なりません。今でいえば会社が藩のようなもので、世襲の社長が藩主や将軍のようなものとすれば、いまだに続く身分制度。奴隷のような労働者、庶民のありかたを覚悟ある青年は変えていかなければなりません。ゲッターズ飯田さんの言う通り。やるかやらないか。やれるやれないは後で考えればいい。諦めなければ、最低でもそれに似た何者かにはなれるはずなのです。本物か偽物かなど関係ない。人に評価は任せておけば良い。大切なのはやりきったかどうかだと思います。優秀なのに群れと化しているためにそれに気づいていない日本人も多い。必要なのは個々の覚悟です。燃えない人はほっとけばよい。かけられた水ごときに負けてはならない。私達も助力したいものです。微小でも。

さて、勝先生のお墓が大田区洗足池付近にあると今朝知りました。いや以前も聞いていたかもしれない。実は大学生の頃、4年間住んでいた寮と500m離れていなかった。驚きと嬉しさがわきあがります。勝先生のオーラを4年間あびていたはず。近くにアルプス電機もあった。バイクの二人乗りメットなしで捕まった派出所もこの場所のはず。(今は交番)

今から組織や世の中で彼に似たことができるかどうか。運と縁を信じて成し遂げたいものです。毎日の積小為大と一つ一つ壁をよじ登り、越えつつ。まだ、20年ある。77歳までは。

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少し休憩2 責任という言葉

武士道で有名な菊と刀 ベネディクトはアメリカが日本をシンプルにするために書かせたという話がある。それが第二次大戦へと世論を向かわせたという。太平洋戦争は実はアメリカのシナリオだった説もある。アメリカにはいろいろな人、考えが混在していて、表に出てくるものは一つの結果であろう。半藤一利さんが亡くなられた。大戦中の日本軍と米軍の違いを書かれていた。やはり個をもった集団の力は強い。米軍が動き、個人の想いの瞬発力が全体主義を凌駕していく。人間力の底力。人間の良い面は皆を笑顔にすることもできる。一方の当時の日本、日露戦争では参謀幹部の失敗。今にも通じる、主要幹部や現場を知らない管理職の適当ぶりとそのしわよせをいつもうける下っ端社員のありさま。

責任のない代表格にお役所仕事がある。 有名なのが黒沢明監督の「生きる」。ここまでひどくないにせよいまだに似た場面に遭遇することがある。署員、所員に憤り、怒鳴っている私。短気は損気なのだけれど何度もある。私の良くない面。しかし、あまりにみんなが言わなさすぎるのではないか。だから彼らは気づかなくなってしまう。ちょっと考えれば皆気づくはず。いいはずがないのに大きいのに巻かれて良しとする。自分にとばっちりがこなければ良しとする。我慢してスルーさせる。いや逆に利用したりもする。そのしわよせはいつも弱い方、子孫、後世にいくのに。

かつて勉強のできた人がなぜそんな判断、言動をするのか理解できない時がある。どうしてそうなるのか。一人一人がものごとにこだわって考えようとしない、無責任だからである。自分を持たないからである。なぜならそっちのほうが楽だから。和を尊び、出る釘を嫌うから。

かつてヒットラーが書いていたらしい。日本人は利用できる。創造力のない小器用で、結果をいつもだしてくれる。だから仲間にしてやると。その後三国同盟へとつながる。山本五十六さんはそれを知っていた。だから同盟に海軍は反対し続けた。しかし、成立。マスコミが世論をあおったようだ。やがてしかたなく参戦。彼はそれらの結果を受け止め尻ぬぐいに奔走。なんとか有利なうちに講和を結ぼうとする。アメリカ相手に勝つことはできないと初めから知っていた。敵は米軍以外にも、国内の無能な管理職、政治家、マスコミなどなど。彼は自分の目で見て、耳で聞いて、心で考える。世界をしっかりとらえる大切さを説かれていた。日本を滅ぼさないですむよう奮闘、努力される。しかし、うまくいかない。それでも諦めなかった。そして最後まで、最前線で戦う部下に寄り添おうとした。そこで戦死される。現在の馬鹿な経営者の逆であろう。人間らしい、真の英雄だった。

責任には二つある。RESPONSIBILITYとACCOUNTABILITYである。News23 筑紫哲也氏に教わった。自己責任と説明責任とされていたと思う。日本人はACCOUNTABILITYが弱い。そうおっしゃっていたと思う。捉え方によっては「言い訳」になりがちだろうか。他者に対してきちんと説明する責任。病院のインフォームドコンセントに通じる。

武士道には、野望、義、情け、恥が必要だと思う。中島みゆきさん「本日、未熟者」である。責任など言うに及ばず、当たり前。なにかを為すためにはやり遂げる義務、責任がある。なければ認められず、評価されず、相手にされなくなる。当たり前。権力があろうがなかろうが、偉かろうが、かつて偉かろが責任は常についてまわる。責任をとって昔は腹を切ったのである。世界中探しても例のない自己反省。便利な法処置だった。

今はどうか。責任という言葉は死語に近くないか。だからこの国の将来はないと言われるのではないか。子供たちは寂しく社会を見ざるえないのではないか。元気がでない。

具体的にどうしたら良いのだろう。日々どう楽しめばよいのだろう。失敗したり間違ったりしたらまず認める。謝る。今後にきちんと生かす。立場や運営に支障があってもその後のためにきちんと処する。自分でそうする。人に頼らない。心ある人の批判をきちんと受け止める。嫌な部分でも肥しにする。遠ざけない。ただの風の音は無視。それには素直さがいる。認める勇気もいる。覚悟をもった改善もいる。責任とはそういうものだと思う。いいかげんにして忘れてしまったり、他で挽回すればいいというのは違う。変われなければ成長しない。尊敬もされない。認めて謝まる勇気を持ちたい。

とは言え、常に言葉通り生きるのは難しい。そいつは苦しすぎるかもしれない。しかし、こんな今の世の中ではどっかで歯止めが必要であろう。灯台であったり、理想であったり、希望が欲しいと思うのである。

自分の家の中でさえ満足にならない。個は主張し、いがみ合う。寺内貫太郎一家を思い出す。自分の体だってそう。健康に悪いものは遠ざけるべきなのだ。本当は。つまり自分のことは棚に上げまくっているではないか。そうなのである。だが積小為大で行こうと思う。一つ一つ気づいた事、できることからやりましょう。少しずつは目に見える。ブレイクスルーも近いはず。いつかできる。きっとできる。ちょっとは楽しくなってくる。たまには良いこともある。きっと元気になれる。笑顔になれる。


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こぼれ話2 ナイトハイク2

愛すべき後輩へ息抜きの意味合いをこめて書きます。
以前のナイトハイクの二年後に、友達と再チャレンジをしました。
21歳になっています。当時は体育会所属ではありますが前の部と違う部に入っていました。限られた大学生の時間。一番やりたいことをその時なりに選んでいました。3年生なので、アルバイトとゼミ(地域社会学)にのめりこんでいた頃です。オフロードバイク(原付)にも乗っています。東京は雨が少ないのでバイクは便利です。交通費の節約にもなりました。夜多摩川丸子橋付近によく行き、ランニングもしました。トランペットを吹いている人やトレーニングをしている人もいました。あの夜気の空気の匂いは忘れません。素敵な記憶です。寂しかった。相変わらずの彼女なし(少し付き合ったことはあった)、長い片思い状態もひきずっていた。しかしサマーピープル(吉田拓郎さん)だった。若さは不思議な季節でコロコロ景色が変わる。いろんなことをやったり感じたりしていた時期です。弱いのに酒を飲み、夜中苦しんだり(寮のイベントの時など)、学園祭でチョコバナナ、パイナップルを売ったり、式根島、神津島で磯釣りをしたり、体育祭では200M走でゴール寸前2mで酸欠で倒れ、後輩に呆れられたり・・。まあもっと上手に、将来に備えていれば今の風景も変わっていたはずなのだけれど。(お金持ちの子供の同級生も多かった。卒業後彼らは親を引き継いでビジネス世界でもまれたことでしょう。)教育実習もさせて頂いた。母校の中学で一瞬田舎に錦を飾れた。そのまま補助教員になり、採用試験にチャレンジし続けることも、ありがたいことにできた。当時は違う選択をして、ファストフードの直営社員になっている。(上京時初めて食べた時の感動、バイトもしていた。)まあ、どっちが良かったかはわからないけれど、カミさんに言わせれば人生をなめた罰よね、的な部分もたしかにある。みんな仲良くしなさいと言っている先生が教務室で派閥があるのはいかがなものか。狭い学校世界、世間とのズレなんて言っていた。二つ良いことさてなきものよである。

本題に入らなければ。前回の反省を踏まえて万全を期してスタート。たまたま友達が一緒に参加した。ペースは違うので並走はなし。了解済みである。最初からちょこまか走りである。先は長い。歩いている人も多い。きっと10位以内にゴールできるはず。コースは前回とほぼ同じ。しかしちゃんと地図を見ながらポイント箇所をチェックして進む。給水所や休憩所も用意されている。ありがたいことである。なによりも秋の夜中。この季節がいい。山、街、多摩近辺の空気の匂いは都会と自然の両方を堪能できる。さて、順調に4位のポジションをキープ。前回4位なのでマアマアである。残り10km付近だったと思う。3位の走者を捉える。ペースはややこちらが速い。向こうは早歩きであった。腰を振るあれである。そこで会話が始まってしまう。ペースはほぼ同じなのでそう距離をとれない。まあ暇と言えば暇なので、会話はそれなりにありがたい。1位、2位の人はアスリートに違いない。届かないであろう。共に良い関係?のまま残り2Km付近。彼が突然言い始めたのである。自分は主催者の主将で、同じ部に彼女がいてゴール(心臓破りの上り坂頂上、1Km弱ある。)で待っている。できれば3位入賞を果たしたい。さて、どうしたものか。少し考えた。ウーン俺には彼女がいない。長い期間片思いの女の子の顔を思い出す。寂しく、つらい日々である。別に喜ぶ人はいないのである。ここがミソだった。「じゃあ先に行けばいい。」言った途端彼は礼を言い、ペースを上げる。こちらはペースを下げる。ただでさえ長い上り坂。しかし、ここが男らしくないのであるが、ちょっと考えた。それで俺は満足だろうか。後悔しないのか。ここまでやったのに。3位入賞は目の前。よし、今から追いかけてみよう。くどいが、結構な直線上り坂。ペースを上げるにしても限度がある。結局彼を捉えきれずにゴール。タイムは分まで同じ。(秒までは記録していない。)しかし4位は4位である。まあ、納得はした。最後出し切った。それで良かった。ペースを上げなければ後悔したに違いない。でもやりきったのだからよしとした。前方に3位入賞を喜ぶ集団がいた。彼を取り巻き盛り上がっている。私的には珍しく、ちょっと大人の気分になった。これもまた良かったのかもしれない。しかし、彼の握手が欲しい気もした。

さて、後日談があるのである。体育会というところは変な文化があって、校内で先輩に会うと「チワッ」とか大声で言って、立ち止まり、先輩が合図するか通り過ぎるまで動けない。こういった文化、習慣が社会人になって企業が、体育会出身者を歓迎する所なのであろうか。もとい。前にいた部や今の部もさほど部員はいなかったが、このローバー、アダルトスカウト部は結構な人数がいた。その中の男子部員達はこの主将を尊敬していたらしい。彼が指示したのかただ話しただけなのかわからないが、私が卒業するまで、この男子部員たちは私を先輩としてあがめ、挨拶をしてくれた。毎日どっかで挨拶してくれた。これには驚いた。しかし、嬉しいには嬉しかった。4位の副賞である。

これもまた、良い思い出なのである。

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健康への道

この道はけっこういくつかの道と合わさっています。数学のベン図の真ん中です。


1、睡眠は22時~2時までが大事。老若男女心スベシ。きっと正しいと思う。ここをずれると体調が変になりやすい。勤務時間が深夜に及ぶ人は仕方がないけれど、知っていて損はないと考えます。どこで回復するか、いつまで続けるか。自分で工夫できる根っこにはなります。ナポレオン四時間睡眠法も以前読んだことがありました。実行するとしても他に昼寝、拾い寝が必要です。

昼寝15分以上40分未満は大変良い。その30分前にコーヒーを飲んでおくとなお良い。寝る時の枕の高さは一定大事。

2、食は大事。腹8分目から6分目でよく噛むように。30回以上噛むのは難しい。せいぜい15回~20数回だろう。だから国民食ラーメンとカレーライスは良くないのである。好きだけれど、噛むのが難しい。日本人に胃がん患者が多いのはこの辺にも理由がありそう。しかし、おかげで手術技術は世界一らしい。

その時の旬なものを好きな調理で適度に食べる。これは大事。トマトやりんごはお医者さんが青くなるほど。一日リンゴ一個で医者知らずとも言う。大豆は良い。いろいろ良い。枝豆、ピーナッツ、黒豆、納豆。暇な時は口に入れてしまいがち。食品添加物について、食品の裏側の著者と質疑応答させて頂いたことがあった。絶滅は無理。減らし、工夫して、せいぜい子孫に影響が大きくならないようにすべき。アレルギー問題もここに関わっているのかも。購入前に原材料名とその記載順番をチェックすべし。価格だけで選ぶのは危険。庶民には選択肢が少ないけれど、知っている人とそうでない人は明らかに違うと思う。マーガリンとは、果糖ぶどう糖液糖とは、たんぱく加水分解物とは、ハムやソーセージって、この辺は知っておこう。飲食しないのは無理。たぶん無理。昔の田園風景。畑の野菜、くだもの。豚小屋に豚、牛やにわとりも飼われていて、(馬もいた。)時々食す。味噌も自家製。コーラやジュースもなく、お茶を飲む。ここは健康的であった。しかし、コーヒー、チョコレートは適量が良さそう。お酒は量が問題。人により、年齢によりそれぞれ変わる。個人的には紹興酒、日本酒、ウイスキーが好き。日本のビール類はおいしいものがなく残念。ゼロサッポロ位かな。今飲めなくなってきたけど。クラフトもなんとかも感動は未経験。(試してはいた。)食前酒は理屈に合っていると思う。アメリカ人は少量ビールで楽しめる。一気?盛り上げにはいいだろうけど・・。

歯磨きも含めます。上手に磨くのはなかなか大変です。しかし一日に回数磨くのは結構できます。一分ほどでも良いから一日三回以上磨きましょう。(そのうち一回はもっと長めがいい。)仕事前はおすすめです。人に会う前も。回数みがくと上手にもなります。個人的に歯間ブラシはゴム製の細いものを使っています。一生自分の歯でいることは、健康人生に大変役に立ちます。きっと。そうではない私が言える事実です。

3、運動(呼吸も含める)、これは以前道を書きました。付け加えると、歩くこと、(走るのも可)はどんなサプリメントより価値があると大昔から賢人が言っています。難波式でどんどん歩き、走りましょう。そのうち自信につながります。足のひらの使い方はコツもあります。修行の喜びに体は気づきます。これはとても良さそうだと。

剣道の素振り。千本素振りを知っていますか。百錬自得、しかしわからなければ、その10倍やればいい。千本やった後に何か気づけるかもしれない。修行とはそういった過程を言うのだと思います。さて、素振りで竹刀等腕を伸ばす時は必ず息を吐いています。息を吐くことは、非常に体に良いと思う。斎藤孝先生も言っています。声にだして読みたい日本語。思うのですが、剣道をやっている老人に(そのうち私もそうなるのだけれど)急に重病で亡くなる方は少ないのではないか。あの気を吐く瞬間は、とても心地良く、間違いなく健康的なのである。気を発散する。見えないけれど心身健やかにつなげられます。私も今のところ元気です。先輩に、医者に剣道とお酒のどちらか選びなさいと言われた人がいました。選んだのはどちらか。複数人いたけれど、みな剣道を選んでお酒をやめていました。よくわかります。久米さんもやめられたとか。

体はできるだけ動かした方がよい。筋トレもお金をかけずに十分やれます。週一であっても自分の体をチェックするのにも役立つ。無理は禁物。楽しみながら習慣化するのが続けるコツです。

4、heart  寂しい気持ち、心が折れそうな予感、誰でも何度か経験するでしょう。特効薬が実はあります。自分をしっかり生きることです。主人公として今を受け止めて、目の前のことをできるだけ自分自身でやりきることです。失敗や恥ずかしい間違いも愛嬌です。自分を責めるのはよしましょう。他人も止めときましょう。もっと自由に、もっと楽しいことを求めて試してみましょう。自分を信じないで誰かと生きることはできません。冒険と好奇心とチャレンジ精神は孤独感を忘れるほどの力を持っています。誰かに従うことは危険もあります。簡単に信じないように。

疲れていたら休みましょう。心も使えば疲れます。体はなおさらです。座禅は心のリセットに役立ちます。肩の凝りもとりやすい。私は毎日朝15分やっています。気づきもあり、助かっています。

5、健康は富に勝る  幸せは自分の心が決めると言います。健康は失って初めてわかるものだと思います。心の持ち方。足るを知っているか。健康でなければ幸せにはなれません。そして与えられるものでなく自分からゲットしていく姿勢が必要です。お金より健康。迷ったら参考にしましょう。

6、衛生面  国や環境、土地柄や民族、時代によって違ってきます。そして「二つ良いことさて無きものよ。」です。O157対策は実は抗体がある、なしで貧乏な生活は強かったのではないか。免疫は甘やかされ、安全にこだわりすぎた生活では弱くなると思う。病気に負けたら元もこうもないけれど、劣悪な環境のほうが免疫力はつきやすいに違いない。

清掃の優先順位は①残渣(ゴミや異物など)をとる。②汚れや液状の成分を洗剤、湯などで拭き取る。③乾燥させる。④より効果的にはアルコールや次亜塩素酸ナトリウム薄め液で消毒する。①→④で、それらの逆はありえません。食品工場の清掃もこれにつきます。菌はこれらでほとんど防げます。

子供が落ちたお菓子を三秒ルールと言って、拾って食べます。その場所にもよるけれど、けっこう私も真似します。一応正露丸も常備していますが。

健康寿命を延ばしたいものです。死ぬ直前までは自分で納得のいく生活を送りたい。風邪をひいて抗生剤に頼るより、早めに水分、栄養をとって体を休めたい。少々の市販薬もあり。毎朝体操や座禅、ストレッチ、運動、晴れていれば散歩(ジョギング)もしたい。世のため人のため自分のための、好きな仕事をしたい。だから動けるうちは福祉施設にあまり頼りたくない。老人同士の共同体、独立社会を村として作り、特色あるそれらを選べたらとても良いと思う。できるだけ自分たちのことは自分たちでやる。地方の税金も節約できる。資本の中間搾取も防ぎ易いかもしれない。民主主義はトップダウンでは無理。ボトムアップで皆気づかないと。我慢と成長を実践して、協力していかないと作れない。ワガママで自己中で馬鹿で弱い日本人と言われそうな未来を憂いて、来るべき外国の人との共存社会をドイツを手本にして、もうちっと皆変わっていかないと良くないと思います。私たちにはそれらへの試したいあり方、道があります。

補完 健康への道

①アドバイザーの大切さ  医療、法律、会計の3人のスペシャリストを友とすべきだと言います。加えて情報(探偵面、昔の忍者、スパイとか)、警備、メンテナンスもあればなお良いのでは。健康面には医療です。長年お付き合いしている主治医、指圧が神の手の漢方の先生(法律、伝統文化、政治、教育、医学方面友人多数お持ちになられています。)に私は大変助けられてきています。やはりモチは餅屋で、友達は宝だと思います。困った時に頼りになる存在。いつかそうなりたいものです。

②炭水化物ダイエットで糖尿病対策。食事の時の食べる順番は大事。ベジタリアン等もいらっしゃいます。現代の病気のほとんどは栄養の摂りすぎ(カロリー面)によるのかもしれません。1500Kcalはなかなか厳しいものです。ミニマリストのシンプルライフ。玄米の力(重曹水につけてから)などなども情報として知っていて良いと思います。一日断食もけっこう良いです。人やその生活ごとによることと、ムリは禁物。段階もあるので注意しながら、組みあわせたり、選択旨としての活用が良いと思います。でもある程度は体系化して道場修行(ワンポイントでも)にできそうです。

総括しますと「足るを知って、体に聞け」ということではないでしょうか。食べたいものをその時に適量食べる。亜鉛も大事のようです。ビタミンは摂りすぎても出ていくから平気とか。カゼ、疲れには有効では。静岡の人はお茶をよく飲むから胃ガンになりにくいと聞いたことがあります。カテキン力でしょうか。

高気密住宅より適度に換気できる作りの家。一日に数回は空気の入れ替えは大切です。(コロナ対策もある。チリ、ホコリ面も)機械でやる手もありますが、昔の雨戸のある家など理にあっています。朝開けて夜閉める。結露にも対応できます。畳も日本文化の宝の一つ。便利さか伝統の重要性かなど選ぶ生活も楽しそうです。

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子育ての道

1歳位の子供には大事な影響をその後与えうる大切な時期で、感情、言語面で働きかける環境があるほうが良いらしい。たとえば一時間以上の人形劇をお母さんと一緒に生で見る機会に子供が飽きず見入ることもあるらしい。その後の感性面の豊かさにつながるとか。子供にもよるのだろうけれど、語り掛け、笑いかけ、褒めることはきっと大切なことであろう。「三つ子の魂百まで」と言う。子供が三歳まではどんなに溺愛してもいいと思っていた。もちろん、しつけも必要だが。

しかし、ちょっと待てよと思う。私は幸い二人の子供に恵まれた。現在20、19歳に成長した彼らは親をどう思っているかよくわからないけれど、一定の反省や改善は心掛け、日々try and error である。

私の孫へのその両親の対応は、私たちの子供にたいするそれとは違っている。時代や環境、年齢が違うのだから当たり前ではあるのだろうが、それでもちょっと待てよと思うことがある。以前仕事で、中学生を1000人以上見させてもらった。学習塾で高校受験のお手伝いをさせてもらったことがある。問題児らしき子もいた。家庭環境も様々だった。土地柄から新旧住民が一緒に住み、所得の格差も大きい地域である。

その時思ったのは、両親が仲良く、きちんと社会生活を送る努力をしている家庭の子供はきちんとしているということである。教育費を工面して塾に通わせる家庭に関してではあるけれど。子供達は親を、大人をしっかり見ている。そうごまかすことはできないようである。成績の良し悪しを言っているのではなく、その子の立ち振る舞いや親御さんの言動。当時はまだ、うちの子供は保育園。先のことはわからなかった。ただ、これらを参考にはしてきたと思う。及第点ではなかったかもしれない。割れ鍋に綴蓋夫婦を自覚している次第。矢沢永吉の「お受験」はコレクションDVDである。

あえてこの題名をあげているのは、そのちょっと待てよのせいである。おしんという朝ドラを久しぶりに見た。子育てのヒントに触れた気がしている。明治、大正、昭和と生き抜いたおしんの様々な人間関係を観ることができる。生き抜き、勝ち抜いたと言える。いづれヤオハンという海外展開をした大手スーパーのモデルの一人へと繋がる。残念ながら店舗は1997年になくなっている。たまたまその創業一族の女性とカラオケをしたことがある。私にpeace of my wishを歌ってくれた。さすが一流の事業家の娘さんと感じた。貴重な体験。

話を戻す。加藤諦三氏の人生相談によく出てくる。子供の頃のトラウマは成人後の人生に大きな影響を与えかねない。無償の愛を親からもらえるかどうかはその子の一生を左右するようである。貧しい時代の赤ちゃんは必死に生きる母親の背中で、そう遊んでもらえず育つ。貧困の中で苦労した子供は生き抜く覚悟を持ち、大きな夢を実現する可能性がある。安室奈美恵さんもそうだったらしい。北向きの竹やぶからだけ尺八の名器が生まれるらしい。陽に恵まれないから。一流には厳しい環境が必要だという。私は違い、けっこう恵まれていた。

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子供に将来良い影響を与えうる子育て方法はあり、年々新たな発見やスキルが見つかるかもしれない。しかし、きっと本当に大切なことは時代がいつであろうと変わらない。国や環境にもよらないのではないか。それより子供たちの自立を妨害したり、大人のエゴを押し付けたり、子離れせず人生を楽しめない、自立できない親に問題があるのではないか。世の中は変わる。未来は子供たちのものである。老人もまだしばらく生きるだろうが、自分の足で立ち、個を持たないか限り、周りに迷惑をかけることにならないか。理想と現実は違い、棒ほど願って針ほど叶う。子育ては多分多種多様、答えはいつもその時々で違い、間違ったり、驚いたり、喜んだりしながら独り立ちする子供をひたすら応援するしかないのかもしれない。干渉しすぎず、離れず、近づきすぎず。ただ奮闘しながら願う。どこへ行っても通用する人材は単純明快。当たり前のことをキチンとできる人。やろうと努力している人。面倒なら工夫して、できるだけ楽しみつつ。今だめでも諦めず、ごまかさず、忘れないこと。いつかできる、きっとできるのである。以下ポイント。

1、疲れすぎていないか。無理は禁物。無理は子供に悪影響が及ぶこと多い。

2、一作業一片付け。掃除、洗濯。あたりまえに一日一回必ずチェック。清潔に。できるだけでOK。

3、子供が3歳まで親は外へ遊びに行くことはやめる。(県外や夜間など。近場の少しの時間はよいだろう。頻繁でなければ。)子育てこそが楽しい遊び。それ以外は禁止。大倉修吾さんがラジオでよく言っていた。5歳か7歳までだったかもしれない。子供をいつも忘れないように。親の責任。

4、夫婦できるだけ仲良く。これ基本中の基本。会話、子供の面倒の共有。助け合い。

5、親はできるだけきちんと社会生活を送れているか。難しいならすぐに専門家に相談。現代は難題山積み。抱え込むのはダメ。

6、笑顔、やさしさ、無償の愛が大切。逆にダメなのは外面良しの世間体重視、怒っている、帳尻合わせ、子供じみたわがまま、自分で考えないで誰かの言いなり、超自己中で反省しない。といったところ。

次に新武士道塾的理想のポイント。厳しめバージョン。

1、親はあたりまえのことをやれているか。反省、努力をしているか。トイレの後の尻ふきやそれに似た後始末。できていないと恥。自分がやらなければ誰かがやってくれている。改善は必須。

2、金銭面で自立しているか。親に頼って当たり前になっていないか。若いうちの苦労は買ってでもしろと言う。手や金を出し過ぎる親は子供の将来を考えていない。馬鹿親であろう。

3、子供に手伝いをさせているか。毎日のルーチンを必ずやる方向で強制しているか。レベルは子供に(親に)合わせて、無理は禁物。意外に子供の方がしっかりしていたりする。

4、子供にチャレンジさせているか。子供の話をきちんと聞けているか。困った時は身を挺して守っているか。守ろうとしたか。わが身より我が子を優先したか。

5、子供に不要な苦難を強いてはいないか。親は自立した大人として考え、判断し、実行、反省していなければ、そのうちそのしわ寄せは必ず子供に行く。その責任が親にはある。できていなくても忘れないこと。歯を食いしばる時期は誰にでもある。可愛いわが子のためにも人に頼り過ぎないこと。世の中は変わる。明日は今日とはまた違ってくる。しかし、いつであっても自分達のことは自分達でやりきる覚悟は要る。必ず要る。残念ながら今の日本人は忘れている人も多い。それに倣う必要はない。何人いようが泥棒は泥棒。まともではない。100年前はどうっだたか知らないけれどAIの今、多分その時代に戻ることはないだろう。機械はそこまで馬鹿ではない。

6、質素倹約、単純明快、楽しく厳しく。日々是新である。過ぎたるは及ばざるがごとし。なければ工夫もできる。現代は昔より生きにくい豊かさがある。物にあふれすぎてしまっていないか。断捨離、整頓でスッキリ気分をもちたい。(自分のことは棚に上げがち。努力はしている。)

以上休止中のワンポイント道ブログ。今伝え、確認したい内容でした。参考にしたのはGTO、ドラゴン桜、金八先生~TBSドラマシリーズ、自己創造の原則~加藤諦三氏著作や言動、灰谷健次郎氏著作、吉川英治氏著作、矢野轍氏著作、ジパング少年いわしげたかし、ガッデム、など。

※付け足し有り

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付け足し  なかなか現状が良くならない。「ウーン。理屈では解決できないか。」とこぼしてもしかたなく。気づく。自分が変われば周りも変わる。ということは、子育ては(孫育てか)自分育てであろう。今より少しでも良くなるよう自分を動かし、奮闘し、あたりまえを行い続ける。感情的になったり、無駄に怒って騒いでも逆に悪くなる。きっとマトモなことは誰でもわかっている。家族や親類縁者様方。そこに行けるよう普通に動くことが大事なのだろう。言って、やって、あとは切り替える。その繰り返しと諦めないブレない気持ちが大事。「フーちゃんはフーちゃんの好き」。人それぞれ想いがあって、ゆずれない時がある。正しい、間違いではないのだ。しかたないのだ。それでも地球は回っていて時間は過ぎていく。今は過去になる。明日がちょっとでもマトモになるように自分を育てる。実は子育て以外仕事でもそういう気分なのである。ブレるな。こだわるな。諦めるな。無駄に争うな。急がば回れ。短気は損気。Let it be. いつか答はでる。一皮むけた気分。けっこう厳しいがムリせず楽しんで逃げず進みたい。簡単ではない。しかし自分が誰よりちゃんとわかってると思える時がある。胸の中の約束の場所を。(未完 Mr.chilidrenより)気づいたから偉いというわけではなく、ただちょっとたくさんこだわって、迷って、なんとなく見えてきているのだろう。それを信じるだけである。

P.S 「今20代~50代の親たちが、子供に教えられないこと。教わっていないから。PHP 12月 棚原安子より」大事なことは自分のことは自分でする、年齢に応じて家の中での自分の役割をもつ、約束を守る。どれも社会に出た時にあたりまえに求められること。洗濯、食器の準備、片付け、親の手伝いなど。自立させるのが子育ての目標であり親の役目。いい学校を出て、いい会社に就職して、社会のレールに乗れることよりも自立教育が大事。

昨今問題になって、NHKでもとりあげられている「ひきこもり」。この辺に解決のヒントがあるのかもしれません。まず、自分の声を発っする。そしてそれを知る。(私は確認しつつ書きまくりました。)そして、ちょこっとずつ乗り越える、少しずつ、焦らず。大事なのは自分の足でそこで立ち、歩くこと。そして楽しむこと。人生は楽しむためにあって、それには我慢、努力も必要なのであろう。答えはたくさんあって、でも自分で見つけるしかなくて。確かに社会も、国も、大人も完全ではない。矛盾もある。それもまた、あたりまえ。マシにできるかどうかちょっとでもやってみないか。ってか。

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超 番外であり基本

個について
私たちがいつか創りたいもの。塾であり、共同体であり、営利集団であったりするけれど、基本はここにあります。司馬遼太郎氏の言葉であり、坂の上の雲に出てくるセリフであり、このブログの最重要の趣旨です。「日本人は個がまだできていない。武士道の精神を基本にして、今からかつての公共心、仁、義、礼を重んじて、一人一人が独立していかなければならない。」「一身独立して一国独立する。自分を甘やかさず質素を宗とする。若いうちに体に叩き込むほうが良い。」ある政治家が言っていたそうです。「その時の政治をなす政治家は、その時の国民のレベルを現わしている。内閣がよくないとすれば国民がそのレベルでしかないということ。」

知らず知らず自分をだまして生きてきていないか。面倒くさがって邪に過ごしていないか。戦っている人を笑う側にいないか。

もっと野望を持っていい。周りを気にしなくていい。そして、遠慮して本来、言ったり、やらなければならないことから逃げてはいけない。小さくても(大きければなお良いけれど)本当の自分を大切にして日々修行(そんな堅苦しくなくてもいいのだが)していかないとならないわけで。しかしそれは口で言うほど簡単ではありません。時間がかかり、時に血や涙や挫折や失望もありうる。外国の大人民主主義は歴史上幾多の先輩たちの努力や犠牲や革命や反省の上にやっと成り立っているわけで、日本人が明治からその方向に歩き出したとすれば、それは一部の士族や事業家、政治家などの努力であって、民衆が独立して為してきてはいない。まして、戦後はなおさらで、立ち直るのがやっとだった。

「地方自治は民主主義の学校である。」ジェームズ、ブライスの言葉ですが、私の卒論の出だしでした。市民参加の行政の在り方を町田市南成瀬地区でアンケートをとったりしました。一人一人が自分の足で立ち、立身する。つまり自分の食い扶持は自分で稼ぐのが基本。親や親せきに頼っているようでは、まだまだ一人前ではない。(まあ、そういう時期もあって仕方ないけれど、自分の立場と責任は果たすべき。そうでなければただの甘え。しょせんちゃんとした親や市民にはなれない。)基本は自分のことは自分でする。人に頼らず、迷惑をかけない。後始末、片付けも自分でする。誰かにやってもらって当然では情けない。世界中であたりまえなことでしょう。まず、そこです。積小為大でよい。時間をかけてもよい。体に叩き込み、浸み込むまで繰り返す。考え、情報を集める、楽しみながら、自分なりに。行動、反省、修正。その次に、周囲の社会に参加していく。議論し、作り、努力し、積み重ねていく。なれ合いや、利用は不要です。単純明快で協力していく。そうしてやっと、良い国になるのではないか。

私どもの最終目標は老人村としています。(いづれ私も近い将来そこへ行きます。)どこまで形にできるかわからないけれども、かつての自然村を発展、現代化して、年寄りたちが自ら主になって生活する村落がいくつもできていくような、そんな未来の高齢化社会があってもいいと考えているわけです。(世界の先進国の一モデルになるかもしれない。)事業としての老人福祉ではなく、老人がより人間らしく、独立して社会に参加、貢献できる共同体です。できれば利益も出したい。

一人一人が独立した個を作る。そこなくして良い社会や、国、世界はありえません。自分なりでいい。間違ってもいい。あきらめず楽しんで、泣いたり笑ったりして、立ち直り歩き出せるよう切に祈る次第です。

(しかし、実際には・・)家の中でも、職場の同僚の間にもいろいろ、様々で個は難しい。理屈ではない。まだ、高度経済成長時の父権の強い家、社会が楽でシンプルで、救いがあるような。今は50代前後の心ある人にとって受難の世の中なのかもしれない。(特に男)忍耐と笑顔と深い愛情が要る。なかなか凡人には難しいのだけれど・・・。小さい個と大きな個。争いあってもしかたない。時間がたてば答えは出る。謙虚で素直で絶対的な積極心があれば和合も見えてくるかもしれない。徳がないからと憂いたり、小さいからと諦めるのはよそう。日々新しく。辛抱はいつか活きるだろう。様々、いろいろ、好きでよい。一緒になることはない。とりあえず今は今。未来はまた違ってくるだろう。より良い未来につながる礎となってほしいのである。

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新型コロナついて

天災、試練、考えなければいけない時。よりよくなるためのキッカケにしなければいけないと思う。日本の一部専門家や現場の人のご苦労。病院の経営難、医師会と経済界の矛盾もあれば、医療費の差、システムも他国と比べると違いが大きいようである。医師は働きすぎ。改革が必要のようである。

もう誰かが用意してくれた恩恵のようなものの上にあぐらをかいている時ではない。年金も医療も限界がきている。借金は額が問題ではなく、ホッタらかして矛盾を正さず、正す意欲もなく、具体的な改善を考えようともしない雰囲気、体質に問題がある。日本が馬鹿でうずまっていくのに(もちろん、そうでない人もいる。)知らないフリをしていていいのか。大国に骨抜きにされ、未来を捨てたのか。大切な子孫の未来を。

困っている人がいる。希望も見えない。政治家、国のリーダーの言動は他国の民主主義に比べて、あまりにお粗末に感じてしまう。しかし、逆に言えばそれがこの国の現実なのだということ。表にたまたま出ていなかっただけ。

国民の側も問題がある。7月29日現在TVでコロナにうつった人が写真入りでビラがまかれたというニュースがありました。他にも誹謗中傷する人がいるという。国のリーダーの声明が欲しい。「公共心、武士道を思い出せ」と。権力を行使しても良い。ダメな国民をホッタラかしてはいけない。諭し、勇気づけて欲しい。国民のリーダーの職務。

この犯人(あえて言います。)は、いつ自分や家族がかかるかもしれない、想像力がない赤ちゃんなのである。年をけっこうくった人がやっている気がする。暇、金もあるのだろう。また、被害者の「~かな。」という話し方もよく聞く。なぜもっと本心を強く言わないのだろう。取材する側の指示だろうか。怒りをもっと前面にだしていい。報道への遠慮か自分自身にプライド、自信がないのか。外国から笑われることと自覚すべきである。「何を子供じみたことを大人がやっているのか。だから日本人はダメなんだ」と考える外国の大人民主主義の人達はたくさんいる。お金はあっても人間として未熟。幼稚、時にお人よし。情けない。

国のリーダーは民主主義のリーダーでもあって欲しい。語れない人はなるべきではない。変わって欲しい。今までなぜ改善の動きがなかったのか。マスコミもネットも、国民も。いつも問題が過ぎるとすぐに忘れてしまう日本人。しかし今回のコロナはそうはいかない。今のリーダー、、内閣、党、議員、彼らが変われないのなら、もっと違った形に変えていく時期に来ている。具体的には国を4つ位に分けるとか国民全員で総理大臣を選ぶとか。言うは易し行うは難し。じゃあ黙って見ているだけか。それで子供達や孫が大人になった時、こう言われたらどうする。「どうして、こんな国になるまであなたたちは放っておいたの。」「権利と義務はあったのでしょ。大人だったんだし。」私は少しは努力をしたと認めて欲しいと思い、今を過ごす。最初に書いたけれど、新型コロナは災害だけど、ピンチを今後の日本のチャンスに利用できる。「なぜ、あなたがしなければならないの?損よ。」確かに。そうしない人が多ければ残念ながらそうなる。

看護師など今後医療の道を目指される方。十分お気をつけ下さい。まずは日々の健康管理。食や運動、筋トレやストレッチも大事です。免疫力をつけて維持して下さい。ランニングもぜひ。

ワクチンができれば、これまでのインフルエンザと同じような扱いができるようになると思えるし、予防接種により未然にある程度防げるかもしれない。しかし、忘れてはいけない。この国にこれ以上の待ったはない。変わるか、馬鹿にされつつ落ちぶれ、利用されるかである。

貧富の差が決定的な死亡率の差につながった。国のリーダーが実際どれくらい信念をもって政治にかかわっていたか判別できた。本当の民主主義、民族、文化の存在意義、今後どんな社会になるべきなのかを一人一人が市民として考える国になれるかもしれない。あの国よりマシではなく自国の明日を、自分たちの未来を。

その一助として、小さなチャレンジとして私たちは新武士道を提唱しているのである。まずは身のまわりから少しずつ実現するしかなさそうである。やはり現実は甘くない。まず笑顔から。

久米さんお元気ですか。今後予想以上に、報道以上に大変な苦しい事態の人たちが増えるかもしれない。確かなこと、必要なことを誰かに伝えて頂きたいと切に祈っております。

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番外編 失敗について

最初失敗すること。これは良いこととされます。器用な人、能力のある人、慎重な人は失敗しにくくて、上司や先輩、目上の人から信頼されやすい。しかし、逆の人(私はたいてい間違い、失敗をします。)は「こいつはダメかな」と思われがちです。最初にファストフードのアルバイトをやった時も先輩にずい分、たぶんいじめられていました。副店長がたまたま私の大学の卒業生で(これも今思うとすごい偶然ですが)なんとか続けられました。一応一人前になってから辞めました。家で家事の手伝いを全くしていなかった。これが一番の要因です。友達に言わせると、決して割の良いバイトではないとのことでしたが、その会社が好きでした。大好きな俳優さんにも会えましたし。さて、失敗はするよりしないほうが良い。周りの人間関係もスムーズにいかなくなる。このへんは確かです。

以前から思っていたのですが、良い失敗と悪い失敗があります。また、伝える人、指示をする人の言い方や方法も関係します。年をとってある程度場数を踏んで思うのは、良い失敗を見抜く目を持ち、後輩やその組織のプラスになることをできれば伝え、変わるよう努力したい。人よりたくさん失敗している私の心境です。悪い失敗はたぶんいいかげんで、何度も繰り返して、反省がまったく見られず、直そうという努力、姿勢が感じられない人や場合でしょう。どっかの国のような。

さて結論です。偉い人エジソンは自分で失敗はしたことがないと、膨大な失敗をしつつ言っていたそうです。本田宗一郎さんも井深 大さんもたくさん失敗をして、工夫をして製品を作ってきました。最後まで成し遂げて、利益がでればOKです。しかし私たち凡人は、失敗から学ぶ姿勢をいつも持ちつつ、できれば二度めをせず、(しないための最大限の努力。必要なら勉強、誰かに相談をしたり調べたり、ネットでもググレます。)でもしたら、三度目は絶対にしないぞとさらに意識して、日々過ごしたいと思うのです。時にはわざと失敗させようとする動きがあるかもしれない。大きいこと、小さいこと、善意から、悪意から。しかし、とりあえずハードルは越えるしかない。でもよほどのことでない限り、自分でその会社を退職するような要因にはならないと思う。(ちょっと似たようなことが・・・でも決定要因ではなかった。)後悔をしないよう、全体を見回して、残った同僚の今後も考えて、タイムマシンからや衛星からの目も持ちつつ。生活に新しいルーチンを入れたり、気分転換の努力もして(美味しい飲食はけっこう有効)、「二度とおこさないぞ」としたいところです。ちなみにちょっと自慢ですが、以前塾を運営していた時のことです。ある次の年から二年連続、一年あけて計三回、通塾生第一志望百パーセント合格を成し遂げたことがありました。もちろん頑張ったのは生徒さんです。きっかけは、大きな後悔、悔しさ、申し訳なさからですが、その時の改善方法は今学校等では当たり前に進路指導で使われているようです。データーの質、地域性はバラツいていますが。

日々勉強、修行です。乗り越えられない問題は神は与えないと言います。そう信じたいです。打つ手は無限。でも無理はせず。美味しいビールとチーズ、良い音楽はおすすめです。

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超一流をめざす

休止前ラストの内容になります。書きたい思いで、我慢できなければまた始めるかもしれませんがとりあえず休憩、充電といたします。予告編としてその後の道をいくつか提示も致します。本当に私たちは(私は?)道が好きなようです。

仕事の道をあとで書くか未定ですが、このテーマ(柱は)一番仕事にかかわる内容になります。5年ほど前から実践しているつもりですが(その前はエースをめざしていました。)、何人かの同僚にも伝えていました。ある芸能人が同じことをおっしゃっていました。ムロツヨシさんです。8月から日本テレビ系でドラマに出演のようです。仕事、キャラクターに幅のある方だと思います。

上昇志向に他ならないかもしれない。なにもそこまでこだわらずとも日々おりあいをつけて、身分相応に、その位に素して行えばよいのかもしれません。カルロスゴーン氏の三つのリーダーの条件もずっと好きでした。結果を出し、継続する力。伝え、鼓舞すること。よいビジョンを持っていること。といったものです。どれも大事だと思います。これらのないリーダーは部下にとって災難です。加えて、部下に厳しくて良いけれど、彼らの気持ちに寄り添える人。お客様、周囲の人に真摯であろうとする人。そう完全な人なんていませんが、これらの邪魔をしていてはダメだと思います。

一流と超一流の違い。一流がその会社のトップと役員、部長クラス、アスリートでのオリンピック候補選手クラスとすると、超一流は役職や会社、時代、国を超えて通用する存在。歴史上の偉人などです。アスリートでは達人のような人。映画カラテキッドのパッド、モリタさん演じる先生のような。一流は生まれつきの能力が大事ですが、超一流は誰でも、いつでもめざせます。なぜ一流でなく超一流をめざすのか。そこが理由になります。

新型コロナが7月現在一段落しております。今後どのような影響が私たちの身の周りに起きてくるか。どう対処すべきなのか。皆が自分自身でしっかりと見据えて、こばまず、ゆがめず、真っ直ぐにすべてを受け止めて(Mr.children足音より)乗り越える努力をしたいものです。天地人という言葉があります。上杉謙信の意味するところでは、天の時、地の利、人の和が戦「いくさ」の勝利、事の成功につながるとします。逆で考えれば、どれかが欠けると事は成りにくいということになります。同じ内容、思いで正義であっても。組織や企業の存続が危ぶまれれば、一個人は犠牲になりかねないかもしれない。しかし、一人一人生活があり、なかには家族を抱え、借金返済中もありうる。誰かにおとしいれられたらどうするか。ムリはし過ぎず、逃げったって恥ではない。でも、超一流をめざすことはダメージを減らし、次につなげる薬にもなると思えます。

どう行うか。今ついている仕事がどうあれ、それのプロに徹します。(向き、不向きがあるかもしれない。どうしても合わない場合は除きますが3年は我慢したい。)同僚の中で一番がエースだとすると、それ以上の存在を目指します。(なれなくても良い。目指すのです。)各自、長所、短所は凡人なら誰にもあります。その人らしくでOKです。ただし弱点でも、工夫して平均以上のレベルにはしたい。うまくやっている人や先輩に聞きつつ、腕を磨きます。さらに今後の課題や同業他社の動きも知ろう。数年後の予想もしましょう。業界の今後や過去の歴史も役にたつかもしれません。超一流は虫の目、魚の目、鳥の目、衛星の目、タイムマシンからの目を持ちます。ただし、あくまで自分なりにで良いと思います。多少違っていてもよい。(気づいたら直しましょう。)むしろ絶対コレは危険です。拒否せず参考にすれば良い。なによりやっていておもしろくなければ、やりがいにつながりません。人の評価より昨日の自分をライバルにしましょう。(少しは妥協も・・)

そうしていると、つぎのようなメリットがあります。①精神衛生上負担が減り、文句、グチの代わりに前向きな気持ちになれます。自分を伸ばすことに集中します。失敗は2回まで。それを確実になくす工夫を。②一流の方と友達になりやすい。仲間もできやすい。類は友を呼びます。運がよければ良い異動や昇進につながるかもしれません。③自分の仕事が上手になれば、時間の使い方や人との連携の仕方、スキルが身につきます。その現場力は他社や異業種でも通用します。不平不満だけで転職した人とは雲泥の差です。仕事の基本は同じ部分があります。実力は必ずついてきます。④周囲の問題が少しずつ改善されやすい。それがさらに負担減になります。戦わなくてもなぜか好転していく。(自分と戦っているところはあります。)言動、姿勢は他者に影響します。人はなにげに見ています。良い判断にも気づくはずです。時間と共にです。(もちろん絶対ではありませんが)

朝ドラの主人公です。(最近は多様性が見られますが・・)主人公は初め逆境で苦労し、歯をくいしばって努力し、成功。周囲の人と仲直り。みんなハッピーに。超一流の物語です。あれをイメージして日々負けないように。

高齢化社会で少子化。今後企業はどう社員を扱うのだろう。元気のない一部上場企業に高給だからとしがみつくのは危険では。天は自ら助けるものを助く。そう信じたい。なるべく後悔しないですむように。

さて、晩酌しながら「どうしようもない会社だ。」とうさを晴らして一日の疲れをとり、次の日家族のために我慢して仕事にでかける。ひと昔前はそれでも報われる状況があったかもしれません。しかし、これからはそう簡単ではないと思います。どうせなら楽しい道を行きましょう、AIも今後かなり作業内容を変えていきます。勤務時間も減るでしょう。超一流をめざせば気づきが増えます。そうすると視野も広がります。我慢は人のためより次の自分のためにしましょう。自分を大事にすべきです。次に家族。

自分だけにできる何かを持っている人は強いです。世の流行りすたりはありますが。国外に目を向けるのも大事だと思います。若ければなおさらです。今、ここで、できる最善を尽くす。将来一番良いと思える場所につける可能性が増えるやり方で。もちろん、その時の人、状況にもよります。絶対ではない。「二つ良いこと。さてなきものよ。」河合隼雄。このブログの触覚とさせて頂いております。

梅原猛氏的超一流に触れます。初めラクダの時代です。来る日も来る日も同じことを繰り返します、決して楽ではありません。砂漠で荷物もあります。水だっていつ飲めることか。でもこの単調な繰り返しこそが基本中の基本とします。野球の素振りでしょうか。次にライオンの時代です。十分に知り、慣れ、こなせるために冒険をしたくなります。指導者や既存の勢力に噛みついたりします。勝てない時もあります。傷だらけです。でも戦い続けます。ライオンですから。さて最後は赤ちゃんの時代です。ライオンは突然赤ちゃんに変わります。一見弱そうです。しかしライオンには到底できないことを為す存在です。これまでの経験を熟成させて新しいものを生み出す力を持っています。無邪気に事を成し遂げることができます。

哲学者の発想です。梅原氏自身がこの赤ちゃんの存在でした。歴史上の新しい真実を見つけ、唱え、歴史を書き換えるのに成功しています。傷も負ったはずです。でも稲盛氏が一億円を研究費にポンと寄付したり(一分ほど考えたそうですが)、歴代総理大臣が教えを乞うこともあったようです。なのに亡くなった時のマスコミの取り上げ方は小さかった。誰かに遠慮したのでしょうか。原発には反対されていました。NHKが特集を一回行っただけ。残念です。いろは歌の謎はぞっとしました。柿本人麻呂が獄中で作ったとしています。

ラクダ、ライオン、赤ちゃんの時代。これらの根っこにはニーチェの思想があるようです。難しく感じますが、例えば算数の九九を思い出してみて下さい。初めは何度も何度も声に出しながら繰り返し練習し、苦労して習得します。次にひけらかしたくなりませんでしたか。自慢したくなったり。まあどっちにせよ計算で使い始めます。割り算までこなすと、大体無意識に使いこなせるレベルだったと思います。赤ちゃんのように柔軟に自由自在です。

梅原氏は学問のすすめで次のようにも言っています。「偽物のライオン、赤ちゃんより本物のラクダのほうがずっと価値がある。どんな仕事、芸術にせよ一流の存在になるためにはこの三段階を必ず経験している。交じった状況もある。」実は日本にも同じ考え方があります。守破離です。剣道で教わりました。

超一流を目指す理由を考えたことがあります。たぶん怒りです。最近の怒りはレジ袋の財務省、違和感。こんなじゃ日本は美しくできないでしょ。土に変わるプラスチックも研究されています。石油からでなく植物から作られます。材質を変えればいい。研究が進まないのか、進めるとまずいのか。将来の希望より今のお金と安泰か。声が上がらない。つまらない国にどんどんなっていく。スーパーはサービスの低下。売る方も、買う方も嫌な気分。お客の立場弱くして、強制でやるしか能のない政治家と官僚。何をコントロールしたいの?なぜ、皆が嬉しくなるような明るい夢を提案できないの。厳しくたっていい。国民を馬鹿扱いして、お茶をにごすやり方にうんざり。怒りましょう。そうしないほうが馬鹿な現実になるのでは。いつのまにか一部の献身的な努力で帳尻があったって、そんなもの民主主義ではない。怒っているほうが馬鹿に見られて嫌ですか。30年以上前に書かれた本、宮本武蔵の一巻です。(吉川英治)「そうだそうだ、それくらい怒ってみなければ本当の生命力も、人間の味も、でては来ぬ。近頃の人間は、怒らぬことをもって知識人であるとしたり、人間の奥行きとみせかけたりしているが、そんな老成ぶった振る舞いを若い奴らが真似るに至っては言語道断じゃ、若い者は、怒らにゃいかん。もっと怒れ、もっと怒れ」//「男児の怒りは公憤でなければいかん。われのみの小さな感情で怒るのは、女性の怒りというものだ。」//「それだけの力を、国家のため、とまでいわん、せめて、他人のためにそそいでみい、天地はおろか神も動く。-いわんや人をや」沢庵和尚の言葉です。又八より武蔵がかっこよかった。剣道の起源は柳生石舟斎と宮本武蔵のようです。吉川英治氏には高校の時から学ばせていただいております。新しい力は元気な若者の挑戦からしか生まれません。今の政治への反動をひたすら期待します。私たちもできるだけ努力!

最後に今後の道をご案内致します。決定事項のみにするよう塾長からきつく言われております。(順不同)バイクの道、音楽の道、食の道、ボーリング、スキーの道、子育ての道、夫婦道、魂のカラオケ道、家事道(特に掃除、洗い物)、勉強の道などです。乞うご期待です。ではとりあえずsee youです。