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勝 海舟という人

番外編 表題なしで書いています。以前から尊敬し、憧れ、目指す・・目指したい、微妙な、大きすぎる稀代の英雄でした。未だに子供の頃見たNHK大河ドラマの倉本聰さん脚本のワンシーンを覚えています。NHK社内トラブルのため、半ばでとりやめられたそうですが、その後富良野塾を作られています。

外国語の辞書を二冊書き写す。当時中学生の私には到底できませんでした。偉い人はすごいことをするものだと思っていました。今からならなんとかなるかもしれない。10年もあればですが。

それだけ時代の移り変わるはざまで情熱を燃やしておられたのでしょう。お父さんも偉い人だった。清水の次郎長の師匠ですか。日本が欧米の植民地にならずに済んだ理由に、間違いなくこの人の尽力と弟子の坂本龍馬の存在もあげられると思います。

最後まで慶喜公を大切にして、幕臣の筋を通した姿も武士道に他なりません。今でいえば会社が藩のようなもので、世襲の社長が藩主や将軍のようなものとすれば、いまだに続く身分制度。奴隷のような労働者、庶民のありかたを覚悟ある青年は変えていかなければなりません。ゲッターズ飯田さんの言う通り。やるかやらないか。やれるやれないは後で考えればいい。諦めなければ、最低でもそれに似た何者かにはなれるはずなのです。本物か偽物かなど関係ない。人に評価は任せておけば良い。大切なのはやりきったかどうかだと思います。優秀なのに群れと化しているためにそれに気づいていない日本人も多い。必要なのは個々の覚悟です。燃えない人はほっとけばよい。かけられた水ごときに負けてはならない。私達も助力したいものです。微小でも。

さて、勝先生のお墓が大田区洗足池付近にあると今朝知りました。いや以前も聞いていたかもしれない。実は大学生の頃、4年間住んでいた寮と500m離れていなかった。驚きと嬉しさがわきあがります。勝先生のオーラを4年間あびていたはず。近くにアルプス電機もあった。バイクの二人乗りメットなしで捕まった派出所もこの場所のはず。(今は交番)

今から組織や世の中で彼に似たことができるかどうか。運と縁を信じて成し遂げたいものです。毎日の積小為大と一つ一つ壁をよじ登り、越えつつ。まだ、20年ある。77歳までは。

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